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Heartwarming Cold Blood―DIK 2018 Halloween SP

璃果

璃果

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たったひとり うんめいのひとがいるなら あなたがいいのに

※20181022 細かい部分で加筆修正しました。誤字脱字、多分少し減った! 多分…orz

すくかーはろうぃんすぺさる2018。

CAUTION
:いつもと違う設定、基本このハロウィンだけの特別仕様
:ハロウィン的よくあるトンデモ設定(わけがわからないよ)
:捨てられわんこ的しょんもりばい、がっかりばいのため大人のイケりばいさんは失踪中
:りばいさんがモブ女性と大人の関係(直接的描写は皆無)
:ふだんのすくかーとは関連性ナシ


ついったーでネタを拾って思いつきで出来上がりました。
よろしければどうぞ。
今回も噴飯モノの捏造設定がてんこ盛りです。
巻末嘘予告や先生がお描きになった設定等のアレを悪用しました。
もはや二次小説どころか惨事小説。やったね!

すくかーだけどすくかーじゃない、でもすくかー。

どんなリヴァミカでも大丈夫な方、いつもと違うすくかーでも問題ない方はここから先へどうぞ。

美味しいお茶とお菓子を用意して、ゆっくりお楽しみ頂ければと思います。

はっぴーはろうぃん!!

20181013→1020

spookynight.jpg

別に意味などない。気が向いた。それだけだ。

リヴァイは黙ってその碑を見つめた。母の名前は読める。生まれた年と、…亡くなった年も。「愛情深き母であり愛すべき女性」という文字はわかるようでわからなかった。薔薇の花のレリーフは五分咲き程度に開いた花と棘のある茎が折られたデザインで、人生半ばの早すぎた若い女性の死を意味していた。だが、そんなことはリヴァイは知らない。ただ、母が薔薇を喜んでくれればいいとだけ思う。折れている薔薇でも、優しい母ならば喜んでくれる気がした。

「寒くないの」

それは大きくはなかったがよく響いた。甘さがあり、低いと言えば低く高めと言われればそんな気もする不思議な声だった。

「だれだ」

ありきたりな問いだったと思う。だがそれ以外必要だろうか。

「寒くないの」

答えはなく、問いが繰り返された。

「おまえにかんけいあるか」
「ない」
「ならどっかいけよ」

奇妙な状況だというのに、何故かその時はそれが当たり前のように感じた。外は黒一色、タールを流し込んだように暗く、星は見えず月は雲に隠れていた。黒い服、黒い髪。声から女なのだとは判った。月が姿を見せていないせいで、くっきりとは見えないのだが、長身ですらりとした細身らしいことは何となく浮かぶシルエットから察せられた。闇夜にランタンがぼんやりと浮かんでいるようだった。顔だけがほの白い。表情は全く見えなかった。
だが、怖いとは思わなかった。不気味だとも恐ろしいとも。

「ひとりなの」
「みてわからねえか」
「そう。それは、……あなたのお母様?」

墓地に来てしまったのは、気晴らしのようなものだ。きっとそうだ。眠れず、出てきてしまった。場所は憶えていたし、走れば行ける距離だった。
意味などない。気が向いた。それだけだ。

リヴァイは墓碑を改めて見つめた。冷たく硬いただの石。あたたかく優しく美しい母が、こんな姿でここにあることが気に入らない。

違う。何もかもが腹立たしい。この世界などすべて煩わしくて、……クソだ、こんなもの。

「私と同じ」

その時、ふ、と雲が分かれた。月影がするすると梯子を下ろした。何故かその声の主の顔を見てみたいと思った。

「私も、ひとりだから」

黒い服、黒い髪、白い肌、赤い唇。自分より十ほどは年上だろうか。リヴァイはその「少女」を見つめた。瞳も黒らしい。まるで硝子玉のように澄んで月の姿を映していた。中途半端に伸ばした髪をそのまま肩に垂らしている。
幼い顔立ちにも思えたし、大人びても見えたが、どういう訳か「少女」ということばしか浮かばない。

「ずっと」

何故かせつなく響いたように感じた。ずっと。それはどれくらいの長さのことなのだろう。母がこの世を去り今に至るまでの時間のことだろうか。長くて長くて長くて、……長い。まだカレンダーは十二枚の内の六枚しか剥がしていないというのに。まだ? もう、の間違いだろうか。

さく、と草を踏み締める音がした。リヴァイは動かなかった。少女が近づいてくるのを、何故か待っていた。

「こんなに痩せて」

生臭いのに甘い香りがした、ような気がした。少女が近づくにつれ、それは強く香る。

「食事を、もらってないの」
「どうだっていい」
「どうして」
「かあさんは、もどってこない」
「だから、食べないの」
「おまえにかんけいない」

ひやりと心地よかった。いつの間にか、少女の右手が自分の頬を包んでいた。この香りは、何の香りなのだろう。花に似て、獣にも似たような。猫がこんな匂いをしていたような気もする。獣とも違うのか。…血?

「泣くのも叫ぶのも、我慢してる」
「うるせえ」
「ふふ。あなたは、強い。とても、強い。だから、……見ていて悲しくなる」
「だまれ」
「強くないと、折れてしまう。折れたら、負けてしまう。何に負けたくないの」

決まってる。自分だ。何も出来ない愚かで弱いただの子供の自分。

「どっかいけ」
「うん。どこかへ。あなたはどうするの」

母の手はあたたかかった。そして、冷たかった。寒さの中で身体を十分に覆うしっかりとした厚手のコートもなく、古びたカーディガンだけで冷え冷えとした共同の水場で洗濯をしていた。少しでも金を浮かせたいからと地下のコイン・ランドリィは滅多に使わなかった。にこにこと笑って、でも時折手に息を吹きかけながら、歌を口ずさんで。
どうしても一緒に居るときかなかった自分には、もこもこにありったけを着せてくれたのに。母は最低限しか身につけていなかった。

「ちゃんと、帰る場所は、あるの」
「……もうねえよ」
「私と同じ」

いやな声だ。甘くやわらかく優しく、……酷く悲しい。

「やめろ」

母がしてくれたように、頭を撫でられた。優しくゆっくりといとおしむように。

「さらさら。綺麗な目を、してる。まるで白いトパーズ。ほんの少しだけあおい。ふふふ」

やめろと言っておきながら、その手を振り払えなかった。何か欲しいとねだったことはないのに、ずっと欲しかったものを手に入れたような気がした。
伏せていた目を開いて、顔を上げた。

あかい小さな唇。ぬらりとして月の光を弾いた。甘いのに生臭い薫香。

「もう帰るといい。送ってあげる。おうちは、どこなの」

あんな場所には戻りたくない。知ってる者などおらず、絶えず子供がどこかで泣いており、哀れみを優しさだと思っている大人が親のフリをして動き回っている。

「ねえっていっただろ」
「大人になれば、出て行ける。今は、そこに居るべき」
「いやだ」
「ふふふ。まるで子供みたい」

妙な気分だった。去年の年の瀬にやっと六歳になった自分に、そんなことばを言うとは。

「だまれ」
「帰るべき。大丈夫。あなたなら。あなたは、大丈夫。大人になれば、行きたい場所に行けるの」

大人になれば。それはどれくらいでなれるのだろう。

「お母様が心配でねむれなくなってしまう」

耳元で、囁かれた。抱きしめられていた。リヴァイは棒のように突っ立ったまま、されるがままだった。ぎゅう、とパジャマの裾を握った。

「お母様を悲しませたくないでしょう」

甘い。何の香りなのだ。そして僅かな生臭み。自分の頬に触れる少女の頬は、手と同じくひんやりとして冷たかった。冬の夜遅くに帰ってきた母がベッドで待つ自分に押し当ててくれた唇が、掌が、そうだったように。

何故、もう母は居ないのだろう。

抱き上げられた。

「いきましょう」
「いきたくない」

何故自分はこんな得体の知れぬ少女にしがみついているのだろう。不思議なほど冷えて、不思議なほどあたたかい肌。

「連れて行ってあげる」
「いやだ。いきたくない」

母さんを、ひとりにしてしまう。……自分が、ひとりだと思い知らされてしまう。

いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。

「私も、ひとり。あなたと同じ。でも、見て。私は、自分の足で立ってる。あなたもそう。でしょう?」
「かあさんを、ひとりにできねえ」
「お母様は、いつもあなたのそばにいるから。とても、綺麗な方。優しくて、……目元と口元が、あなたに似てる。あなたの髪はお母様譲り? あなたと違って長い。でも、同じ綺麗な髪。……ごめんなさいって。愛してるって。大好きよって」

かあさん。

◆   ◆   ◆

リヴァイは目覚めるといつものベッドに居た。施設の中の大部屋にずらりと並べられた素っ気無いベッドに。まだ夜が明けきらず、薄暗かった。目をこすろうとして、気づいた。手の甲に、赤黒い何かが乾いて貼りついていた。
血などつく何をしたものだろう。それより何より、どうしたことだろうか。自分はこっそり食糧庫の窓から抜け出して、母の眠る場所に行ったのではなかったか。夢を見たのだろうか。

わからない。

「お母様は、いつもあなたのそばにいて下さるから」

甘く僅かに生臭い香り。耳に残る声。悲しげな黒い瞳。

忘れられないのに、思い出せない。

リヴァイはそっと汚れた手の甲をもう一方の手で撫でた。

もういい歳の大人になっても、その時の夢を脳内で再生してしまう。幼い頃の想い出で尊く思われるのは、母と過ごした日々とその夢とも現実ともつかぬ曖昧な記憶だけだった。

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何の香りだろう。わかるようでわからない。その曖昧さが少し自分を苛立たせるのがわかる。

リヴァイはぐるりと周囲を見渡した。どちらかといえばここは規模が大きい方なのだろうか。はたまた小さいのか。よくわからない。今日から通うことになった、それだけだ。高校生になったといっても何だかぴんとこない。
来た早々に考えるのは、ここを出て行く日のことだ。里親の元を出て、何かで食いつないでいければそれでいい。母もやれる仕事はなんだってやっていたではないか。母に出来たのならば、自分にも出来なくてはならない。頼らず、阿らず、自らの足で立つ。
だが、何と言ってとりえのない自分に、何が出来るのだろうか。得意なものは無駄に売られる喧嘩をやり過ごすことと、やり過ごせなければ相手を遠ざけることだ。実力行使というヤツで。身体が小さければ何でも言いなりにさせられると思う馬鹿が思いの外多いのには閉口した。自らを守れなくてはひとりで生きてなどいけない。だから、その方法を会得した。

古びた煉瓦造りの校舎はどことなく陰気に思えた。貧しい者が住む区域にある高校など、そんなものなのかもしれない。一部の熱心な教師と努力や尽力が実を結ばず疲れた顔の教師と、十分とは言えぬ予算の中でやりくりすることを強いられつつも持ちこたえている、ひとはいいが押しは弱い校長と、やる気はなくひとりではすることもないからというくらいの理由で通ってくる生徒たちと。
富裕な子女が通う高校とは比べ物にならない。彼らには選択肢がより多くあるが、貧しい者にはある程度決まった未来が案内されているようなものだ。だからこそ、這い上がりのし上がり夢を叶えた者が絶賛される。

ここで四年も過ごしていけるのだろうか。そもそも、高校を出たからと言って、開ける道など本当にあるものなのか。
幸い、今の里親はマトモな人間だった。殴りつけようとせず、ジーンズを下ろしてベッドに手を着き尻をこちらに向けろなどと命令したりもせず、ヤクを手に入れてこい、酒を買って来いなどとは言わない。言われて従えないことには全て逆らい、都度殴られ蹴られゆかに壁に叩きつけられた。死ねないのも考えものだ。夜が更け朝が来るたびにまた同じことを繰り返すか、やっと今日こそ終わりが来て息絶えるのかとどこかで安堵しつつ、理不尽さへの怒りを身の内に宿した。朝が来るたびに落胆と安堵を抱く毎日だった。
それが、今はどうだろう。たとえ国からもらえるカネが目当てなのだとしても、子供たちを虐待することはない。食事も寝床も与えてくれれば、優しく笑ってくれさえする。根気良く寄り添ってくれる、忍耐強い人物だった。
二番目の里親に、掃除という概念のない部屋に一週間閉じ込められた時はこんな場所で飢えてねずみにかじられながら死ぬのかと思ったものだ。今ではほかの里子たちと家の内外の掃除をし、温かい料理を与えられ、シャワーも浴びられる。もはや天国だ。
だが、ひとを信用しようなどという考えは棄てた。故に、いつもひとりだった。

信用することを棄てはしたが、里親には心から感謝していた。だからこそ、そこにずるずると居てはいけない気がした。所詮は他人なのだ。

「悪い」

ぼんやりとよそ見をしていたせいだ。ぶつかって、カタチばかりの謝罪のことばを口にした。ふ、と甘い香りが漂った、気がした。憶えのある香り。

「私のほうこそ、不注意だった」
「……お前、」

黒い髪、白い肌。白のブラウスに冴えないグレイのジャンパー・スカート、ボルドーのカーディガンを羽織っていた。アクセントに赤みを足したコーディネイトのくせに、どこかしら陰気さが消えない。よく言えば落ち着いているが、要するに朗らかさや快活さがなかった。自分より身長が高くすらりと細身で儚げに見えた。
女子生徒は、それでも、友人たちとつるんでいる時などは姦しいものだ。野郎ばかりがつるむよりは華がある。

多分、これは、美しい、と形容していいのだろう、と思う。面差しに欧米以外の異国の雰囲気があった。黒い瞳は輝いてはいないがとろりと糖蜜のようで、赤い唇はあくまでも小さく愛らしい。
明るさはない。日陰のように静かで暗い。だが、……何故かそれ故に嫌ではない。

「なに」
「誰だ」

何と間抜けなことばを発したものか。だが、何故かそう言っていた。そして考える。これは、いつかも問うたことがなかったか。

ふわ、と少女が薄く微笑んだ。甘い香気が強くなった気がした。

「ここの生徒だけど」
「俺を、憶えてるか」

何故、そんな問いを。

「……私は、ナンパされているの」
「あ?」

もどかしい。これは何なのだ。何故もどかしいのかと考え、ふと思い当たった。夢だ。幼い頃に見た夢。いや、あれは夢ではなかったはずなのだ。だが、夢のように茫漠として模糊として掴みがたい。

手の甲には僅かとは言え確かに乾いた血がついていたが、どこにも怪我などなかった。あっても以前つけた傷ばかりで、今更流血などしようはずもない。

「冗談。じゃあ」

少女は去ろうとした。

「オイ」

その細い手首を掴んでいた。指先に触れる素肌が、ひんやりと心地よかった。そうだ。憶えている。頬を包み髪を撫で抱きしめたあの手。

「なに」
「名前、何て言う」

少女は黙ってリヴァイを見つめた。

「やっぱり、ナンパなの。変わったシュミ」

少し面白がっているように見えた。陰気ではあるのだが、底意地の悪そうないやらしさはない。ありていに言えば可愛らしくからかいたげな表情を浮かべていた。明確にそうとわかる表情、というより、雰囲気がそう伝えてくる。

「教えろよ」

通りすがりの女子を呼び止めて気を引こうなどとしたことはない。そんなことをしている連中はいつもどこか滑稽に見えた。だいたい、……その辺の女子生徒よりも小柄な自分など上から鼻で嗤われる。そして、そんな女をまともに相手にしても仕方がない。

「ミカサ」

聞いたこともない名だ。ミカサ。ミカサ。ミカサ。味わうかのように密かに繰り返した。どんな意味を持つのかもわからない。ミカサ。どこにもない名前。たったひとつ。近所のヒスパニック系がそんなコトバを言っていたような気もする。

「何だよ」

訊いておき、答えてもらっておきながら、リヴァイはそれでもどこか尊大に尋ねた。黒い瞳が自分を見つめていた。それは何故か気分がいい。

「あなたは、名乗らないの」
「訊いてどうすんだ」
「なら、どうして私には訊いたの」

思わず目を逸らして地面を見た。

「リヴァイ」
「リヴァイ。そう。素敵な名前」

前に女の声で優しく名を呼ばれたのは、いつだっただろう。くだらないことを考えた。

「お母様がおつけになったの」

顔を上げた。少女を見た。何故か白く小さな顔が暗がりに浮かぶ様を思い描いた。ジャック・オ・ランタンはそもそも南瓜ではなく蕪だったんですって。それをくりぬいて蝋燭を中に立てて、ちょっと高い位置に吊り下げて持ち歩いて、旅人を脅かしたって話なの。母が図書館から借りてきた絵本を見せてくれながら、寝しなに語ってくれたのを思い出した。

「お前、」
「もう、行っていい?」

返事も待たず少女は踵を返した。だが、……リヴァイの手はまだその細い手首を掴んだままだった。

「放して」
「お前、前に、」
「リヴァイ」

甘い声。甘い香り。……ならば、その唇や肌はどうなのだろう。その黒髪に顔を埋めたら、どんな香りがするのだろうか。これまでに思ったこともないあれこれが自分の中を駆け巡るのがわかる。血が、頭が、沸騰し燃え上がるような感覚。その意識があっという間に下半身の一部に流れ込むような気がした。自分が呪わしくなる。それでいて高揚する。

「もう、かえらないと」

あやすような口調だった。リヴァイはする、と手を放した。訳がわからない。名残惜しいとでも思っているのだろうか。放したくないなどと思ってはいなかったか。

「じゃあ」

ふわりと黒髪が揺れた。また、ふ、と甘い香りがして、霧散した。

◆   ◆   ◆

「そこ。私の特等席なのに」
「あ?」

リヴァイは不機嫌そうに顔を上げた。図書館の外には壁に沿っていくつかベンチが置かれていた。いつもあまり陽の射さない場所にあるそれに腰掛けて、リヴァイは本を手にしていた。

ミカサだ。黒い髪、黒い瞳、白い肌、赤い唇。バインダーを両腕で胸に抱え黒いバッグを腕にかけていた。今日は濃いチャコールの地に白の千鳥格子のシフト・ドレスだった。身体の線のなめらかな曲線が浮き出て見える。甘い香りをまとってそこに居た。

出逢ってから、気づけば冬を越して夏が過ぎ、新しい年度を向かえていた。

「何故そこに座ってるの。ほかにもあるでしょう」
「ソレ、そのままお前に返す」
「だから、私の特等席」
「知るか」
「日陰が好きなのに」
「まだ余裕あるだろ。好きに座りゃいい」
「どいてくれないの」
「俺が怖えか」

ふふ、と小さな笑い声がした。

「ちっとも」

音もなくベンチに腰を下ろした。

「こんなところで、何してるの」
「お前に断り入れなきゃならねえのか」

突き放すように言った。
知っている。ミカサはいつもこの席に座って本を読んでいた。没頭しているようには見えなかった。ただ息をするようにそこに居て、本を開き、それに向き合っている。そんな風情だった。
誰かと親しそうにしている姿は見た事がない。いつもひとりだ。そういう生徒も居ない訳でもない。だが、大抵は誰かと一緒に居る。特に女子生徒は。ミカサは違うらしい。誰かに声をかけることもなければ、かけられることもない。
いつもひとりだった。

「出来れば、そうして欲しい」

毅然とした声がそう返した。リヴァイは隣の少女に顔を向けた。

「やっと顔を上げた。あなた、ホントにナマイキ」
「お前が言うか」
「ほら。態度が大きい。身体は小さいクセに」
「ぶっ飛ばすぞテメェ」

少女がふわりと微笑んだ。その瞬間、あの香りが漂った。果実。違う。花。そうかもしれないが何とはわからない。瑞々しく鼻に煩く感じず、むしろ悪くないとすら思う。

「居残り課題やらされてるコがエラそうに。先生の部屋でやらないの? 図書館で本借りたいとか嘘を言ったんでしょう」
「何で知ってんだ」
「さあ」
「俺に興味でもあんのか」
「あってほしい?」

小さな赤い三日月。唇の両の端が仄かに上にあがっていた。とろりと甘い黒い蜜の瞳。

「お前は、どうなんだよ」

噛みつくように顔をぐい、と少女の前に突き出した。
一瞬目を見開いてこちらを見たのがわかった。どうしてか気分が上がる。そんな表情をさせられたのは、自分以外居ない、そんな埒もないことを考えている。
あとほんの少しで、互いの唇が触れ合いそうになった。少女がすうと身体を引き、それを交わした。だが、またその華奢な手を掴まれてしまった。

「からかってるの」
「さあな」
「やっぱり、ナマイキ」

立ち上がろうとしたが、手が放そうとしなかった。少女はほんのりと眉間に皺を寄せた。

「お前の、特等席なんだろ。居ろよ」
「あなたが消えてくれるなら」
「断る」
「可愛くない」

甘い。アルコールがひとを腐らせるのは何度か目の当たりにしていた。だから、飲めなくはないが飲まずに居た。そもそも大量に購うカネもない。盗めば飲めるのだろうが、今の里親の元ではする訳にいかなかった。そこまでして飲むものでもない。
どうやら酒には強いらしく、まだ大人とは言えない年齢だが、飲んで潰れたことがない。だが、今は、どことなく心地よい酩酊状態にある、ような気がした。酔う、という感覚は、こんな感じなのではないかとぼんやり思う。陶然とし、身体がふわりと解放され、何かが遠のいていくような感覚。
甘い。こんな酒もあるのか。それとも酒でなくとも酔えるものがあるのか。

「課題、やったら?」
「忙しくてそれどころじゃねえ」
「手を、放せばいい」
「断る」

甘い。嗅いだことのない香りだった。花など詳しくない。どれがどんな香りを持つかなど知る由もない。香水やコロンのような嘘っぽさもなかった。ただ、馨しい。

「駄々っ子」
「なんだそりゃ」
「ワガママで甘えたがり」
「口閉じさせるぞ」
「……どうやって、するの」

言った刹那、薄い唇が少女のそれに触れた。

「だめ」

初めてだった。泣きそうな顔をしていた。そんな顔をするのか。そう思うとぞくぞくと背が総毛立ち、歓喜が湧き上がった。リヴァイは唇を舌で湿らせた。困ったように眉を下げ、少女が顔を背けた。まるで、恥じらっているかのように。

「私、かえる」
「まだ、居ろよ」
「やだ」

哀切と含羞。何故そんな顔をするのか。そして、また自分にだけ見せたのではないかとどこかで考え血が沸き立った。この少女は、どういう訳か自分が男だと思い出させる。

「どうして私に意地悪するの」
「してねえ」
「してる」

やっと手を振りほどいた。この少年の手は、熱い。熱くて、心地いい。男のくせに繊細で美しく、それでいて女めいたところのない、手。

「かえる」
「ミカサ」

追いつかれた、とその時ミカサは思った。そして、立ち止まった。

「なに」
「ここは、お前の特等席だ」
「だから?」
「また、来ればいい。…………来いよ、また」
「うるさい」

背を向けると、芳香が振りまかれたように辺りに漂った、ようにリヴァイには思われた。
その脚が、少し震えているのがわかった。細くしなやかで美しいラインを描く、長い脚。キスふぜいで。一瞬触れただけの、あんな行為で。それなら、引き寄せて抱き寄せたら、……組みしだいたら、どんな顔を見せるのだろう。

その日から、放課後は日陰のベンチにひっそりと座る小柄な男子生徒の姿が見られるようになった。もっとも、人目につきにくいせいで、それほど注目されることもなかった。図書館に関心を払う生徒など限られている。
そして、その隣には、すらりとした少女。
ささやかで幼く、それでいて淫靡な逢い引きが始まった。

◆   ◆   ◆

「なあ、コレ」
「なに」
「三つ目。どの資料使やいいんだ」
「『自動車産業の隆盛と斜陽』みたいな本で、日本とかアジアについての章があれば、ソレがいいと思う」
「ああ…なるほどな。お前、すげえな。知らねえこと、ねえみてえだ」
「そんな訳はない。この場合は、発想の問題、だと思う」

校内で特に二人で過ごしたことはない。放課後になればあのベンチに向かうだけだ。図書館でそれぞれに本を借りて、それぞれに課題を幾許か片付ける。時々リヴァイが飲み物を買いにいき、ミカサに手渡して共に飲んだりもした。ミカサがキャンディ・バーを持参したこともあった。
ミカサはどうやら成績がいいらしく、同じクラスになることはほぼない。頭もいいのだろう、リヴァイが何か疑問に感じたり知らないことがあったりしても、訊けば大抵すんなりと答えを返してくれた。

「はい。この本のこの章なんかも、参考になると思う」

ミカサが本を開いて指で指し示した。その手に、リヴァイの手が重ねられた。ゆっくりと指が絡め取るように小さな手を握った。

「もう。待てないの。今、ちゃんと渡すつもりで」
「手。冷てえな。冷えるタチか」
「そういう訳では」

芳香が広がった。気のせいだろう。わかっている。だが、リヴァイにはそう思えた。ミカサの感情が何かしらの変化を来すと甘い香りが広がるのだと。恥じらったり戸惑ったり驚いたり、心の揺れに合わせるように香りが漂っているに違いない。あり得ないことをそうに違いないと感じていた。
ぐい、と引っ張られて、ミカサはまたかと呆れる。いつもそうだ。この不機嫌そうな顔の少年は、何をしでかすか全く読めない。強引で傲慢で、そのくせ常にこちらを気遣う素振りを見せ、そうかと思えば自分のペースに引き込んで平然としているのだ。

「リ、――」

持っていかれた手の甲に、唇が押し当てられた。烙印でも押そうというのか。いたたまれず、気恥ずかしい。放してほしいのに、放してほしくない。

「冷てえけど、そこがキモチイイよな、お前の手」

熱を帯びた濡れた感触にちろりと撫でられた。

「リヴァイ!」
「身体冷やすとよくねえんだろ、女は」
「はなして、」
「あっためてやる。今日、家に誰も居ねえ。来いよ」

ミカサは小さな口をあんぐりと開けた。何故かひどくあけすけに言われたような気がした。衣服も心を覆う鎧も剥がされたような気分になる。なんということを、まるでなんでもないことのように言ってくれるのだ。
そう。リヴァイは既に免許を持っている。誕生日を迎えて十六歳になると、これも祝いのひとつだ、と里親は免許を取らせてくれて、中古とは言え車まで使わせてくれた。おかげで、今ならこの陰のある少女を乗せて連れ去ることも出来るのだ。

「いい。行かない」
「怖いか」
「何が」
「俺が」
「あなたなんか、怖くもなんともない」
「なら、いいだろ」
「よくない!」

ぴくん、とミカサの身体が揺れた。舌先や唇で手の甲や指先をくすぐられて、どうしていいのかわからない。

「お前を、くれ」

冷えたからだに、火が点るのではないかと思うほどに。声が肌を浸食してくるのを感じた。ミカサは瞼を閉じた。悪魔の声がする。甘く深くとろけるような声。

「何言って」
「俺が、嫌いか」

何故そんなことを躊躇いもなく尋ねられるのだ。それも、真正面からこちらを見据えて。

「ふざけないで」
「ふざけてるように見えんのか」

まただ。何もかもどうでもいいようなつまらなそうな顔ばかりしているくせに。熱を帯びた目をする。

「俺は、お前がいい」
「やめて」
「お前がいい」
「やめて」
「お前がいい。ほかは要らねえ」

やめて。お願いだから。やめて。黒い瞳が潤み、頬を伝うものがリヴァイの手の甲に落ちた。

「俺じゃダメか」
「ちがう」
「俺じゃなきゃいいのか」
「ちがう」
「ほかは要らねえ。お前がいい。お前をくれ」

どうしてこんな時は真剣な声になるのだ。それでいて甘く濡れて耳に絡みついて離れない。

「リヴァイ、お願い、」
「それ、……ベッドで聞かせろよ」
「リヴァイのばか!」
「だろうな。お前に惚れてる」

ずるい。こんなの、ずるい。ミカサは声に出さず繰り返した。ひとの言うことなんか無視して好き勝手して。ワガママでカワイゲがなくて。ナマイキでずるくて。

「俺が、嫌いか」
「どうしたらそんなこと訊けるの」
「わかんねえからお前のクチから聞きてえ。それだけだ」
「言ってあげない」
「言わせてやる」
「手。放して」
「放したら、お前、逃げるだろ」
「逃げないから。放して」

渋々といった体で放したかと思うと、今度はそのままその両の手でミカサの頬を包み込んで、親指の先で涙を拭った。
また、そんなひどいことを。ミカサは唇を噛んだ。忘れられなくなるようなことを、しないでほしい。

「お前、……いい匂い、するよな」
「!」
「なんか、つけてんのか」
「つ、つけて、ない、……」
「甘くて、…果物だか花だかわからねえが、……いい匂いだ」
「も、やめ、…」

ミカサがまた狼狽えたように見えた。照れているようにも、含羞を帯びているようにも。
ほかの女子生徒がこんな素振りを見せたとしても、何ら感じないというのに。何故ミカサがそんな表情を見せると気分が高揚するのだろう。

「行くぞ」

ベンチから腰を浮かせてリヴァイが言った。無理矢理に鎮めた欲求がまた燻り出したのを感じて、振り切る必要があった。

「え」
「家に、送ってやる」
「いい。帰れる」
「それくらいさせろ。……悪かった。女には、カルいキモチでヤれねえよな」
「軽い気持ちで言ったの」
「馬鹿か。言えるか、あんな台詞」

リヴァイはぷいと顔を逸らした。
「お前に惚れてる」。ミカサは密やかに胸の内で繰り返した。ナマイキで意地が悪くてワガママなクセに。そんな可愛い態度を見せるの?
ふわ、と芳香が辺りに飛び散った、ように感じた。リヴァイはミカサを見た。

「行くぞ」
「学校の裏手に、車を回してほしい」
「わかった」

小さなため息をついて、リヴァイは駐車場へ向かった。


その日を最後に、ミカサは高校に来なくなった。何より驚いたのは、どんな誰に訊いても、教師ですらも、ミカサを知らないと言ったことだった。そもそもそんな生徒は在籍していないのだと。

お前、どこ行ったんだ。違う。お前、……いったい、なんなんだ。幻か?

また夢でも見ていたのか。あまりにもはっきりとして現実にしか思えないというのに。
あの唇のやわらかさを、今も憶えている。小さくやわらかでひやりと冷たかった。そして、何ともわからぬのに慕わしいあの香り。

リヴァイはまたひとりに戻った。それ以降、ごく事務的な内容を除いて、誰かと満足に口を利くこともなくなった。
不機嫌そうな少年は、本当にただ不機嫌な少年になった。


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「悪い。もう、帰ってくれるか。予定がある」

腕時計をはめながらぽつりとそう言われ、女は渋々身体を起こした。白いシャツ、濃いグレイのジーンズ。気取ったところはない。
よくわからない男だった。指定されたのは清潔さを好むこと、耳にしたことは他言しないこと、黒髪ではないこと。
変態的なプレイを望むこともなく、怒鳴ったり罵声を浴びせることもなく、いきなりも無理矢理もなく、穏やかに淡々と行為に及ぶ。処理と言うほど義務的でもないが、甘やかでもない。
料金を踏み倒したこともない。安くもない金額を、きちんと支払う。稀にしか利用しない上得意、という不思議な客だった。
今日も随分久しぶりに連絡があってのことだった。ふだん遭遇する客に比べれば紳士と呼びたくなる男だった。擬似的な恋人関係も望まず、キスを求められたことがない。そして、こちらからのキスも受け取ろうとはしなかった。唇や顔周辺以外は好きにさせておくのだが。

携帯電話が鳴った。男は眉間の皺を余計に深くして手にとって耳にあてがいバスルームへ向かった。聞かれたくない、というよりも礼儀としてその場を去っているらしいとだんだんわかってきた。
礼儀。ストリートで突っ立って客を待つ「ご同業」に比べれば、斡旋し女たちを管理するのは女社長、ボディガード兼雑用担当として雇われた男数人以外は皆女だけの「会社」のせいか、恵まれた立場にある。表向きには人材派遣業だ。離婚した男性がパートナー同伴が好ましいパーティに行く時の相手役として、などと、それらしい理由はいくらでもある。
しかし、「客」は、こちらを所詮はカネで言うことを聞くものと思っている。カネさえ払えば何をしてもいいと思う男の方が断然多く、不躾なことを言われ、されたことは数え切れない。礼儀などあってないようなもの、という男がほとんどだ。
不機嫌そうで常に怒っているように見えるくせに、カネで身体を提供する女に最低限であれ礼を尽くす妙な男。

「ボス。お休みのところすみません、いいですか。またロクでもねえのが居まして、三人もガキが」
「そうか。今からそっち行く」

会話は漏れ聞こえてくることもある。他言無用の念押しをするのなら聞かせぬ工夫と配慮をまずするものなのではないのか。どうにも理解しがたい。
「社長」の話では、闇ブローカーの元締めのような者だという事なのだが、それすらもどこまで本当なのだろう、そう思っていた。だが、「会社」の女たちも噂を知っており、あれこれと話してくれた。どこにでも何故かやたらと情報を持っている人間、訳知り顔の人間が居るものだ。
最初は、子供を売買しているという噂を小耳にはさみ、吐き気がした。悪党には二通りあって、見るからに、という輩と、一見してわからないタイプとが居るが、後者なのだ、とおぞましく思った。
ところが、そうではないと言うのだ。
何でも、実親里親問わず虐待で苦しむものの抜け出せない子供をさらい、あるいは本人や知人、親戚らの願いを聞き届けてNPO保護団体に密かに引き渡すのだと言う。何の得もなかろうにと思ったら、虐待していた名ばかりの保護者をありとあらゆる手段で脅し、カネを巻き上げるらしい。恐ろしいのは、カネを巻き上げられぬ輩は「始末」しているようだ、という点だった。「始末」することで発生したその代償、あるいは対価をもらうのだろう。たとえば保険会社から。
子供たちからも長じてのちに逃がしてやった報酬としてカネを支払うよう命じていると聞いてウンザリし直したのだが、就労しその給料から毎月十分の一出せばいいらしい。収入の十分の一だなどと、まるで教会の献金だ。期間は三年間。それには、きちんと仕事を得て継続させ、義務を果たすことを覚え、社会に適応し謳歌すべき自由には常に責任がつきまとうことを覚えろという意味があるらしい。三年は連絡を取り合うことで、離職していないか、健康でいるのか、安否の確認も兼ねているのだと。
クズなのか聖人なのかわからない。

「ここに置いておく。こっちが先に出てくことになった。ゆっくり身支度してくれ」
男はいつものように封筒をナイト・テーブルの上に置いた。
「あの、いつも言ってるけど、ちゃんとチップと料金は、」
カードの引き落としできっちり支払われている。当然チップも込みだ。請求金額への文句も支払いの滞りもない。
「イヤな思いさせといてカネでカタつけて悪い。偽善だな。だが、あって困るもんじゃねえだろ。取っといてくれ。胸糞悪ぃカネでも、仲間だの友達とぱーっと飲んで使っちまえば手元にも残らねえ」

この男に抱かれるのは、実を言えば不快ではない。だからこそ、時々怖くなる。こんな仕事をしている身で、「客」に惹かれてどうなるというのだろう。
この国にあっては驚くほど小柄な男だ。ぱっと見た感じは華奢と言っていいほど痩身で小さく見える。脱ぐとその印象を全て裏切るので、内心かなり驚いた。至るところに見られる古い傷痕、硬い筋肉。無駄な脂肪など一切無かった。
はじめの頃は、外見に劣等感でもあって、フツウの女とは恋愛関係を結ばないのか、と意地悪く考えていたこともあった。良く見れば表情と雰囲気がひとを遠ざけがちなだけで、顔そのものは整っている。この男より小柄な女性も居るのだし、そんな問題ではないのだとすぐに思い直した。
今では呼ばれることにどこか安堵と喜びを感じる。ひととして扱ってもらえることに飢えていると気づかされはしたが。

あの電話での受け答え。素っ気無い。いつもそうだ。誰に対しても変わらない。笑った顔を見た事がない。常に不機嫌そうで眉間に深い皺が刻み込まれている。
いつも妻に邪険にされ、自分は金蔓でしかないのではないか、と涙ながらにこぼす男。親子ほども歳の離れた若い女と結婚しておきながら、頭が弱くてかなわないと困ったように笑う老境の男。もう五年も子供に会っていない、と沈む男。癒しを求める男もまた少なくない。
だが、この男はそういうこともないらしい。何かを愚痴られたこともない。
妙なことは言われたが。

「あんた、冷え性か」
「……え、ええ、いえそんなことも、あの、……冬場は足が冷えたりはするけど、それがどうか?」

ベッドに腰掛けていた男の襟元からネクタイを外していた時だったか。女の手をふいに握り、ぽつりとつぶやいたのだ。

「あったけえもんだ。いや、俺よかは体温低いのか」

俗に言う、ぬくもりに飢えている、というヤツなのかと思った。どうもそれとも違うように思われた。
どうにもわからない男だった。

「灯り、消した方がいいか」
「お好きに」
「これ、元からこの色か」

今度は髪を指で梳かれた。何かを懐かしむようにそっと。

「ええ。母譲りなの。赤毛は嫌い?」
「いや。黒くなけりゃなんだっていい」

そう言ってシャツのボタンを外し始めた。女もまた、自分の衣服を脱ぎ始めた。事務的とも情感たっぷりとも言えぬ、少しばかりドライな行為と甘味料抜きの時間。勝手に甘さを感じるのは自由だろう。女は思う。
サービスのつもりで唇を寄せたが、拒まれてショックを受けた時、この男が嫌いではないのだと気づいた。
娼婦などいつも何かの代わりだ。それ以上でもそれ以下でもない。そう言い聞かせた。ほかの客のように、がつがつとせっつくように抱かぬことに、傷ついている自分が居た。モノのように扱われる方がラクなこともあるのかと呆然とした。それでいてこの男は労りや愛情とやらを込めるでもない。そもそも込めるはずもないとわかっているのに、何故失望するのだろう。

嬉しいのに傷つくこともあるとは。女は衣服を身につける間不躾に見る事もしない男が去ったドアをちらりと見つめた。
戻ってくることのないドアに。

悪くないホテルだ。カーペットの踏み心地がやわらかい。自分から先に出る方がラクだと気づいた。あの男に置いていかれるのは、何だかひどくわびしい気分になる。

◆   ◆   ◆

「チッ、めんどくせえな」
悪態をついた。ついて怪我が治るならラクなものなのだが。
だからヤク中は好かねえ。とんでもねえ力出しやがるし、予想外の暴れ方しやがる。リヴァイは内心ぼやき続けた。ガキが怪我してねえんだから、マシか。そっちのが余計厄介だ。
子供を背後に匿ったはいいが、怯えてまとわりつかれ、思ったように動けなかった。一番の年長に残り二人を連れて窓から外に出ろと言ってようやくジャンキーのクズに成り果てた父親を征した。単身で部屋に乗り込み、外と廊下には部下を待機させてあった。
何年にも渡って死んだほうがましだと思わせる暴力を振るわれる子供も居れば、薬のせいで狂乱してナイフで一突きされ絶命する子供も居る。生き延びても死んでも、あるのはただ地獄だ。

リヴァイはようやく目的地に着いた。自分と限られた人間しか知らない出入り口がある。この病院には多額のカネを寄付をしてあった。その代わり、患者に影響が及ばぬ限り、好きに使わせてもらえるようにしてあった。清濁併せ飲むといえば聞こえはいいが、何のことはない、カネが嫌いな人間は居ない。

「お久しいですね。どうしました」
「痛み止めくれ。刺された」
「ふつうは治療を求めるものです」
馴染みの看護師は呆れ顔で返した。
「こちらへ」
「おう。悪いな」
「ええ、確かに。急患が控え目でよかった。感謝して下さい」
「誰にだよ」
「あなたの神に」
「じゃあナシだ。そんなもの居ねえ」
「悪魔でいいんじゃないですか」
「口の減らねえ女だ」
「あなたが言いますか」

少々キツめだが美しい顔立ちの女は、きびきびと動きはきはきと話す。いい意味で遠慮がなく、話しやすい。生粋のであるかはわからないが、なかなか美しいプラチナ・ブロンドの髪をまとめ、ひっつめていた。紺色のスクラブに白のパンツ姿で流れるように歩いてゆく。リヴァイはいつものように大股でざくざくと歩くことはしなかった。廊下に血が垂れては仕事を増やし文句が増えるだろう。

「脱げますか」
治療室に入った。消毒薬の匂いがする。だが、嫌いではない。清潔さの証だ。埃がたまりヤニで汚れた壁に、砂でざらつき訳のわからないものがこびりついたゆか、吐瀉物や糞尿の臭いの混じるすえた空気、ねずみの鳴き声、虫の走り回る音、そんなものがないことが、どれほどありがたいかわからない人間は多分自分が思う以上に多いのだろう。また、そうでなくてはならない。飢えて動けなくなり、終わりを待つだけの時間は永いものだ。
何かを、誰かを、うしなってからひとりで生きる長さに比べればまばたきに等しいとのちに知ったのだが。

「問題ねえ」
ジャケットを脱ぐと、動きやすいように着ていた伸縮性のある素材の白のプルオーバーに血が滲んでいるのがはっきりと見て取れた。
「思ったより酷いですね」
「大袈裟にアピールしてえお年頃でな」
「いえ、私もさももう底をつきそうだとばかりにガーゼとコットンの発注を多めに上げておきますから」
「だよな。俺も丸腰やめて気弱なビビリだってわかってもらうためにナイフのひとつも持つか」
「悪魔みたいなカオしてナイフですか。悪くないタッグです」
プルオーバーの下の肌も血にまみれていた。リヴァイは液体で満ちたボトルとガーゼを毟り取るように手にすると傷の下にガーゼの束をあてがい、ボトルの中身を勢いよく押し出して傷とその周辺を洗い流した。
「あなた、私を何だと思ってるんですか」
「白衣の悪魔だろ」
言いながら、紺のスクラブを見て、イマドキは白衣とは限らないのだった、と思い直した。
「正解です」
そう言ってリヴァイの手からあれこれと奪い取り、改めて消毒を始めた。
「痛えな。もう少し優しく出来ねえのか」
「悪魔に何を期待してるんですか」
容赦なく傷口内部まで消毒しているため、かなりの激痛が走っているはずだが、リヴァイは息を乱すでもなく声ひとつ上げることもなく、くだらない会話に興じていた。傷の洗浄をしっかりしておかなくてはあとあとトラブルの元になる。リヴァイも経験上よくわかっていた。
看護師が中腰になり頭を下げているせいで、きん色の髪がよく見えた。光を受けて透き通って見える。
中途半端に伸びた黒髪はコシがあってやわらかでなめらかだった。つややかで、夜の色のそれは太陽の光を弾きまろやかにきらめいていた。

甘い香りなどどこにもない。清めを示すあの匂いだけがあった。

「思ったより深いですね。消毒液たっぷりのガーゼを詰めて縫わずにおきますか。ガーゼ交換が死ぬ程痛みますが、膿を逐一吸わせてガーゼを詰め直せば、傷の治りは意外に早いです。抜糸の必要もないですしね」
「それでいい。だから、痛み止め寄越せっつってんだろ」
「可愛くないですね」

誰かに、かつて、同じように言われた。もう少し幼い顔で、困ったような恥じらいを浮かべて。

「世話になった」
差し出された痛み止めと消毒に必要な一式を入れた袋を受け取った。血にまみれた衣服は処分してくれるという。こんな事態に備えて預けておいた衣服に着替えて、表向きはただの不機嫌そうな顔をした男に戻った。
「やり方はどうあれ、やっていることはご立派です。親だの保護者とは名ばかりのクズには医療機関も福祉行政も手を焼いています。隠すのだけは抜群に上手い外道や言い逃れる輩はまだまだ沢山居ますから」
「俺はただカネ目当てにやってるだけだ。搾り取れるヤツから効率よくもらう。持ってねえならそれ相応の代わりのもん出してもらう。それだけだ」
「私の従兄弟たちははあなたの強引なやり方で初めて陽の光を自由に浴びて好きな場所に行けて食べたいものを食べられるようになりました。私は何年も気づいていながら何もしてあげられなかった。おまけに、あのクズはもう居ない。一生塀の中です。接近禁止命令など足元にも及ばない処置です。どうあれ、感謝しています」
リヴァイは小さく息を吐いた。クズにしか排除出来ないクズも居るのだろうと自嘲する。

「じゃあな」
「出来るだけお会いしなくて済むようになさって下さい」
「つれねえな」
「病院に通うようになるのはあと六十年先でもよろしいでしょう」
「俺が今何歳だと思ってんだよ」
「ボウヤと呼ばれるのが適正でしょうね」
「傷つくだろうがクソ小娘」
「三十路近くで小娘呼ばわりとは光栄です。ああ、傷でしたらとっくに脇腹に」
「傷の代わりにその減らねえ口縫っとけ」

廊下に出ると、リヴァイはそのまま病院をあとにせず、院内をそぞろ歩いた。汚れや汚穢とは無縁の場所だ。血や膿、むろんそんなものとも縁が深いが、感染症や病原菌の蔓延を防ぐのが当然の空間なのだ、自分には居心地がいい。
何より、ここに運ばれることもなく人生を路地裏で終えるかもしれない。堪能しておくのも一興だ。

「あ?」

何かが見えた気がした。黒い服、黒い髪。確かに最近の医療現場は大昔と違って色に満ちている。あらゆる色のスクラブを身につけた療法師や看護師、医者であふれかえっているのだ。だが、黒はない。理事や事務を担当する者はスーツ姿だが、黒は控える。死を連想させてはいけない。モードな衣服でキメる場所ではないと誰もがわきまえている。
リヴァイは先ほど以上に音を潜めて歩いた。元々気配を殺すのには慣れている。いつ部屋に「怪物」がやってきて何かされるとも知れない厄災の予感に身構えて生きてきた。

確か、輸血用の血液や冷蔵保存の必要なもののための部屋のはずだった。

「……!」

息を飲んだ。それを耳ざとく察知したらしい。背を向ける人物は動かなかった。

「ミカサ」

振り向かない。だが、わかる。ミカサだ。すらりとした長身、細いからだ、黒い服、黒い髪。不思議なほど何も変わっていない後ろ姿だった。

「こっち向け」

無言のままだった。

「ミカサ」

リヴァイは踏み出した。

「来ないで」
「断る」

小さな肩に手をかけた。

「触らないで」

懐かしい声だった。突然消えて、その直後は憶えていたというのに、月日が経つにつれて自分の脳内で再生することが難しくなっていることに気づいた。憶えているのにわからないあのもどかしさ。自分の気持ちとやらはその程度だったかと嗤った。
この声だ。甘く、低いといえば低く、高いようにも思われる声。

「こっち向け」
「触らないで」

自分とてあれから何年も経ち、二十代も半ばともなれば容貌に変化もあるはずだ。そんなものはどうだっていい。

「ミカサ」

無理矢理振り向かせた。黒い髪、黒い瞳、白い肌、赤い――血に染まる唇。

「お前、どうした。怪我してんのか。来い、すぐに、」
「放して」
「黙れ」

手首を掴んだ。そうだ。この感触だ。なめらかで吸いつくようにきめ細かく、ひんやりと冷たい。どんな女もこの肌の慕わしさを持ち合わせていない。

「はなして」

虚ろに響いた。そのひんやりとした手首の先には、二つほど血液のパックが握られていた。

「こんなもん、どうする」

そう言って、奇妙な感覚に囚われた。ミカサは何ひとつ変わっていなかった。愛らしく幼さの残る顔、出逢った頃の、……母の眠る墓地で遭遇したあの時から、何ひとつ変わっていない。少女だ。自分と同じくらいの年齢にすらなっているようには見えなかった。

「はなして」

甘い芳香。瑞々しく馨しいなんとも言えぬ香り。そして、血の生臭さ。その臭気は、ミカサの唇から漂っていた。小さく開いた口の端に、ちらりとのぞくそれは、……それは。

「お願い。はなして」
「断ると言った」

唯一だった。誰も何もどうでも良かった自分が、初めて執着した。母のように喪うくらいなら、最初から近寄らねばいいと思っていた。この少女だけは違った。
抱きしめられた時の感触を、憶えている。甘い香りとひやりとする肌、それなのにどこかであたたかいと感じ、安堵していた。小さな唇に自分のそれで触れた時はそんなことが出来る自分にどこかで驚いていた。

「どうしました」

看護師が声をかけてきた。その一瞬の隙をつかれて、細い手首が自分の手を逃れた。驚くほどの速さでその先の非常階段へのドアを開き、吸い込まれるように消えた。まるで霧か霞のように軽く、するすると流れるように。

「いや、……」
「あなたがここに入るのを見た不良でも侵入したんでしょうか。今後はもっと気をつけて頂かないと。警備室に連絡します」
「必要ねえ」
「は」
「問題ねえ。アレだ、昔クソ親から引っぺがしてやったガキが、俺を尾けてきちまったっておどけやがった。すまねえがもう逃げた」
「…………そうでしたか」

看護師は無駄に尋ねることをしなかった。そういう女だからこそ、信用していた。

「じゃあな」
「病院ではなく、町なかで見かけるのを楽しみにしてます」
「おう。夜勤で疲れてるとこ悪かった。今度甘いものでも差し入れしてやる」
「まさに朝飯前です。差し入れは太らないものでお願い出来ますか」
「ダイエットってタマかよ。激務なんだからたらふく食っとけ」

甘い香り、漂う生臭さ。開かれた血まみれの小さな口の端にのぞいた、白い、……。

お前、何で逃げた。逃げるくらいなら、なんでまた俺の前に姿見せた。
ふざけやがって。

夜の街をたったひとりでほっつき歩いてお散歩か? 危険極まりない。だが、あれには夜が似合う。
闇に溶け込みながら、融け切れずそこに在るあの儚いクセに確かに感じられる様が、美しいと思っていた。

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「へええええ。ちょっとちょっと、今年久々に入ってきたよ! ベッタベタじゃないんだなあ。ちょっとスクールガール風にカジュアル・ダウンしてる辺り、おされ上級者ちゃんだねえ」
「あ? 何はしゃいでんだクソメガネ」
「それ、生徒の前で言わないでよ? 私を崇敬するイタイケな子羊ちゃんたちが泣くじゃないか!」
「ガキどもはな、お前の奇行に怯えて泣いてんだよ」

そもそもクソメガネと呼ぶことを止めない辺りがこの人物の独特なところなのだろうか。単にリヴァイの口の悪さを諦めているか受け容れているだけかもしれないのだが。
リヴァイは男か女かも判然としない教師がベラベラとまくし立てるのをヨソに、汚れが際立ち始めた数本のモップのヘッド交換を行っていた。

三十になる少し前に、今の仕事に就いた。警察や連邦捜査局の追跡が厳しくなったのだ。一緒に活動していた中に見所のある熱心な男がおり、それに全権を託した。自分はサポートに徹し、表舞台からは手を引いた。
「前職」の頃、出来るだけ動く時は自分が中心となり、仲間にはあまり手を出させず顔も隠させておいた。「仕事」のあとの撤収時に誰かに目撃されても小柄な自分がいちばん印象に残るのはわかっていた。だが、顔はあえて隠していなかった。何度か話が聞きたいと警官や捜査官に尋ねてこられた。それで良かった。仲間にその手が及ばねばいいのであり、のらりくらりとかわし続けていた。表向きには電気工事技師に過ぎなかった。小柄で身軽故に電柱や電線の工事に向いている、愛想はないが仕事は真面目だと職場の誰もが証言した。
警察に訪問されたことなど隠しておけるはずもない。そのせいで、話に尾ひれがついたこともあり、闇社会の大物だったなどという噂が広がった。それはそれで構わなかった。注目されるのがこちらであれば、仲間たちが多少は自由に動ける。
どうせなら、ガキ嬲って平然としてやがる連中にそのチカラとやらを使えよ、クソッタレ。そのツラにある目玉はただの節穴かよ。

ウォール高校の清掃員。それが今の自分だ。生徒たちが遠慮会釈なく汚した校内や外壁の美化と衛生保全に努める。ついでに、誰にも言えぬ家庭の秘密を抱えて生きる子供はこんな高校にも居るものだろうかと見るでもなく遠巻きに観察していた。
「スケルトン・イン・ザ・クローゼット」――クローゼットの中の骸骨、すなわち、家庭内の秘密や見られたくない恥というものを、誰もが大なり小なり抱えているものだろう。大抵は可愛いものだ。父が会社の部下と浮気したのがバレて家庭内で孤立している、稼ぎ頭は妻で、実は職を失ったせいで徐々に困窮しているものの近所には澄ました顔でとりつくろっている、というややヘヴィなものもあるが、それですらも珍しくもない事例かもしれない。
いつか自分がそのクローゼットに隠されて白骨化するかもしれない目に遭うのだと絶望しながら日々をやり過ごす子供は、見えぬだけでどこにでも居る。真に恐ろしい秘密、とやらは、そんな類のものだ。笑顔で子供の可愛さを語る親が、家の中では蹴りつけ叩きのめし、階段から突き飛ばして地下に落とし閉じ込めて平然としている。

直接何かしてやれる訳ではない。何かをしてやる訳でもない。だが、何にでも逃げ道や逃げ場というものがあるのだと気づけるように、道端にパン屑なり石ころなりばらまいてやることは出来るかもしれない。

ウォール・ハイは自分が子供の頃に通っていた高校とは段違いに見えた。モダンな校舎に、中流以上で飢えや窮乏とはあまり縁の無さそうな子供ばかりが通っている。似てさえいない。ポケットに忍ばせた小銭でソフトドリンクやスナックを校内の自販機で気軽に買い、次の休みには友人やステディな相手とどこで何をしようかと考え、バイトに精を出し課題に追われていればいいだけのご子息ご令嬢のお集まりだ。
拾ったクウォーターをコイン・ランドリィの足しにしてもらおうと、大事にキャンディの空き缶に入れて母にいつか手渡そうなどと考えたこともないに違いない。

「失礼だなあ、リヴァイは!」
「お前、何はしゃいでんだよ」

緊張感のカケラもなく話し続けているのは、勤務先となったウォール・ハイで何故か会話を交わすようになった教師のひとり、ハンジ・ゾエだ。化学教師で、どこからどう見ても間違えようのないマッド・サイエンティスト然としているのだが、気さくが過ぎるところがあり、生徒たちはヒきながらも面白がって慕っている、という奇妙な人物だった。

「はしゃいでるって訳でもないんだけどさぁ。今年も新入生が入ってきたなあって。毎年、なんか面白いコ居ないかなあって見てんだよね。この辺じゃ一番裕福そうなレイス家のお嬢サマも居るって言うしさ、どんな子だろうって気になるじゃないか! チアリーディング部が待ちかねるかはたまた煙たがるか! っはー、なんか楽しいねえ!」
「そうかよ。お前ほどかっとんだ面白えのが居るとも思えねえのにご苦労なこった」

理由はどうあれ、子供を気にかけるのは悪い事ではない。それが犯罪に繋がることでなければ。
お前は存在自体が危険物だがな。リヴァイは眼鏡と奇行がトレードマークの教師を横目で見た。

「何ホメてんのさー! あ、それでさ、久々に発見した! ゴスっ娘ちゃん! ここ何年か見てなかったんだよね。かっわいいなあ!」
「食うなよ」
「人間食べる訳ないじゃん! ……リヴァイ、知ってる? 日本だったかな、人間の肉は柘榴に味が似てるってハナシがあるらしいよぉ~?」
「なんで楽しそうなんだよテメェは……」

ゴス・ファッションを好む子供は不良と同等に考えられがちなところがある。古い世代にはいきがって黒のレザー・ジャケットを着て周囲を牽制している少年と、少々古風なテイストをイマドキにアレンジした黒のゴス・ファッションを好む少女の違いなどよくわからないのだ。そして、そもそも不良を気取る子供にせよ、ゴス・ファッションに身を包む子供にせよ、正当で真っ当な理解と関心は払われないことがほとんどだった。そういう意味では似たようなものだろう。

「ゴスっ娘ちゃんてか、ゴス着るコってさ、みんなを遠ざけたがってんのに、私を見つけて、って言ってるカンジ、するんだよねえ。そこが、何かちょっと痛々しくてカワイイカンジ、しない?」

ほう。
リヴァイは砂粒ほどはこの奇天烈な化学教師に関心した。悪くねえ目のつけどころだ。伊達と酔狂だけで教師やってねえんだな、お前でも。

「今年のゴスっ娘ちゃんは、お、ちょっとアジア系入ってんのかな? そんなカンジの顔立ちしてるなー。黒髪も綺麗なもんだ」

リヴァイは作業の手を止めて思わず立ち上がった。

「うわ、でっけええええええええ! 見てよリヴァイ、あの新入生、エルヴィンよかデカいんじゃない!? 身長一九〇くらいありそうだよ! なんかおっとりしてるなあ。キリン? キリンぽくね?」

異国の風情のある顔立ち。黒い服、黒い髪。

お前か。

「ん? どしたの、リヴァイ」
「お前、いい加減部屋に戻れよ。またビーカーだのぶち割った破片隠しておきやがったら、ケツ蹴り上げるからな」
「ちょっとおおおおおおおおお、何で今蹴んのさー!! 痛った!! もう、痛ったあああ!!」
「うるせえぞメガネ。硫酸風呂に浸かってこい、女のフリして垢のひとつも削ぎ落とせ」
「フリってなんだああああああああああああ! どこからどう見たって立派なオンナだろおおおお! 隅々まで見せてやろうかこの野郎! シャワーくらい浴びてるよ! たまに!」
「清掃員自らゲロぶちまけてどうする。いいから変態はしまっとけ。仮にも教師だ。あとたまにって何だよ…」
「何から何まで失礼だな! 仮じゃねえええええええええ!!」
「だから、うるせえんだよ」
「蹴らないでよ! 本気でいってええ!」
「本気で蹴ったからな」
「暴力清掃員!」
「黙れマッド・サイエンティスト。とっとと行け」
「せっかくかまってあげてるのにいいいい!」
「オイオイオイ…迷惑考えろ。めでてえアタマしやがって」
「素直じゃないねえ、あなたは。しょうがないなあ、じゃあ、行くね! 恋しくなったら呼びなよぉ?」

ハンジはぽんぽんとリヴァイの頭を軽くタップして、ようやく自分の部屋に戻っていった。

二階の廊下の窓から、生徒たちの行き交う姿を見下ろしてみるが、それらしい姿はなかった。黒い髪、黒い服、白い肌、赤い唇。絶対にわかる。それがたとえ後ろ姿であっても。

ミカサ。なんで逃げた。逃げたなら、なんでまた俺の前に姿見せる。

◆   ◆   ◆

「エレーン! 一緒に『トワイライト』観よう?」
「観ねえっつっただろ」
「面白い。とてもとても面白い! ので、一緒に観たい」
「いや、だから、俺は興味ねえんだって何回も言っただろ。俺もう迎え来てんだよ。お前もちゃんと帰れよ」

少女は仕方なく頷いて、そっけない態度の少年を見送った。

「こっち向け、クソガキ」

呼びかけられて、少女は立ち尽くした。今日もそれほど長くもない髪を二つに結い上げていた。黒のシンプルなトップス、黒を基調としたチェック柄のティアードのスカート、黒のブーツ。アクセサリィはやや過剰だろうか。ロマ民族は全財産であるが故にアクセサリィを過剰に身につけている、というような話を、以前聞いたような気がする。母の話だったか。
リヴァイはその背を黙って見つめた。

「なんですか、清掃員さん」

怯えたような声と表情。視線に耐え切れなくなったかのように振り返った。あの顔だ。あの唇で、あの瞳だ。憶えている。

「ほう。演技するようになったのか。いや、……擬態か」
「意味が、わからない。あなたは怖い。とてもとても怖い。私はあなたに何か失礼なことでも?」
「そうだな、されてねえとは言えねえな」

今から十五年以上昔、置いていかれた。それから十年ほど経過して、出逢うなりまた姿を消された。その事実を忘れたことはない。
赤い小さな唇がほう、と息を吐いた。

「もう、帰ります」
「さっそく逃げるのか。なら、なんでこんなとこ居る」
「意味がわからない。学区に住む生徒が、その高校に通う。それ以外何があるの」
「……お前、名前、なんて言う」
「何故訊くの」
「なんで答えられねえ」

リヴァイは真っ直ぐに少女を見つめた。

「ミカサ。ミカサ・アッカーマン」
「ハ、……そりゃ偶然だな。俺もアッカーマンだ」

思えば、「ミカサ」というその名しか知らなかった。姓などどうでもよかった。呼べる名がわかっていればそれで満足だった。
お前、本当に「アッカーマン」かよ。適当に名乗ってんじゃねえのか。お前は夜目が利きそうだ。夜の墓地で墓石だってなんて刻んであるか、読めんだろ。たとえば、俺の後ろにあった母さんの名前だの。
なんで何千何万てある名前から、それを名乗った。

「そうですか。帰っていいですか」
「駄目だって言ったらどうすんだよ」
「ひとを呼びます」
「そうか。やれ。腹から声出せよ」

ミカサと名乗った少女は微かに眉根を寄せた。リヴァイは元々深く刻まれた眉間の皺をより深くした。

「今はアレがお気に入りか」
「何がですか」
「追っかけてるガキが居ただろ」
「エレンは私の闇の騎士。私を厄災から救ってくれる」

微笑んで見せた。そうだ。憶えている。やわらかく遠慮がちにほんのりと唇の両端を上げるのだ。だが、今は自分ではないほかの男の名をつぶやきながらだった。
気に入らない。

「お前を邪険に扱ってるようにしか見えねえが」
「エレンはシャイなので、しょうがない。……あなたが知りたいのは、そんなことなんですか」
「いや。だが、訊いたってお前は答えねえんだろう」
「答えようのない質問ばかり、されるからです」
「そうか。なら、答えようのあるヤツ訊くか。お前、……またここから消えるのか」

ミカサは伏し目がちになり、中指にはめた指輪をいじった。凝った細工の大振りのものだ。いくつか重ねづけしている。

「だから。私はここの生徒。消えるも消えないもない、と思うけれど」
「そのことば、忘れんなよ」

リヴァイは背を向けた。同時に、背後で動く気配がした。ミカサもまた背を向けて立ち去るのだろう。ゆっくりと振り返った。
細い脚が、震えていた。どことなく覚束ない足取りにも、見覚えがある。
何ひとつ忘れていない自分に腹が立つ。現れては消えて、何と言うこともない顔をしている黒髪の少女にも。


ミカサは毎朝きちんと登校してきた。エレンとアルミンというあまり接点のなさそうな少年二人とよく一緒に歩いていた。背の高いほうの少年の態度だけで見れば、必死につきまとっているようにしか見えない。それは華奢なもうひとりの少年も似たようなものだった。どうやら二人にとってエレンという少年はヒーローのような存在らしい。どこかで崇拝しているような態度が見えた。
ミカサはいつもエレンを追いかけ、話しかけていた。
まるで、それしか興味がないかのように。
アナタの知るミカサではないのだと言わんばかりに。
それ以外の時は、いつもひっそりとひとりで過ごしていた。学校の中庭の木陰やあまり日当たりの良くない花壇のへりに腰掛けて、静かに本を眺めている。
時間が止まっているかのように見えた。まるでそこだけがセピア色で、あの頃に引き戻された。日陰のベンチに毎日のように並んで腰掛けて、何ということもない話をして、時々からかった。面倒な課題も、一緒であればやる気になれた。課題にかこつけて話しかければ、あちらも身を寄せてきて親身になって教えてくれた。

自分だけが、動けないままだった。この町を離れることもなく、真っ当とは言えない裏稼業で稼ぎ、しがみついていた。
戻れるはずのない時間や、たったひとりの存在に。

リヴァイは黙々と火ばさみでゴミを拾い、袋に納めていた。中庭には、ガムやキャンディ、スナックの包装や小袋の切れ端、そんなものがいくらでも落ちている。避妊具の包みが落ちているのには閉口した。使用済みの「中身」がないだけよしとすべきか。時々リヴァイが生徒をどやしつけているので、以前に比べれば格段にマシになった、と歴史教師であるエルヴィン・スミスなどは苦笑していた。

なんだありゃ。サービス・タイムでも発動してんのか。

草むらから黒いスカートに覆われたヒップが突き出ていた。時折微妙に上下して、正直に言えば悪くない眺めだった。その辺に転がってるガキにゃ欲情しねえが、……お前、何してんだよ、ミカサ。

この高校で黒を多用した服を身につけてくると言えば限られている。パンク・ロックなどを好む生徒が黒いレザーのジャケットを羽織ったりするのはよくあることだが、エレガントだったりフェミニンなデザインの衣服で黒を身につけてくる娘などほかには存在しない。

「どうした。ゴミ漁りしてえなら俺の代わりにやるか」

猫かよ。ミカサの動きを見て思う。黒い髪、黒い服の少女は、するりとなめらかに身体を捩り、顔を上げた。

「仕事をしたいのであれば、どうぞ。構わないでほしい」

近づいていっても、ミカサは立ち去ろうとしなかった。

「だから、その仕事に邪魔なんだよ。何してんだ」
「……落とし物をした、ので、探している。それだけ。あなたは、何もここから掃除を始めなくてはいけない訳でもないはず」
「何落とした」
「気にしないでほしい」
「何を、落としたんだって、訊いてる」

口調と声音で立ち去る気も無視してくれることもないと悟ったらしい。ミカサは身体を起こして、ぽそりとつぶやいた。

「指輪」

ジプシーが沢山アクセサリィを身につけるのは、それが全財産だから、なんですって。なんだか素敵ね。母の話をまた思い出した。
お前が持っていたいものは、なんだ。
俺はたったひとつだ。それを失くした。それなのに、草むらからでも見つかったみてえにまた目の前に出てきやがった。

「探しといてやる。もう帰れ」
「いい。あれは、特別。人任せになんて出来ない」

惚れた男にでももらったのかよ。

リヴァイは黙って腰を落とすと、軍手から薄いゴム製の手袋につけかえて、ミカサの近くに膝をつき、雑草をそっとかき分け始めた。

「どんなヤツだ」
「だから、」
「早く帰りてえだろ。見つかりゃ安心もする。言え」
「……銀の、石とか何の飾りもついてないヤツ。内側に、イニシャルと『愛を込めて』ってことばが掘ってある」
「そりゃ失くしたらオオゴトだろうな」

何故かミカサはリヴァイに顔を向けた。困ったような、悲しげな顔をしていた。

「父が、母に贈ったもの。結婚してからずっとつけていた、と言ってた。とても、大事。私の指には少し合わないから、首から下げていた。鎖が切れてしまったみたいで、それで、」

ふだんあまりしゃべりたがらぬ少女がどうしたことか。誤解されたくないとでも言いたげにまくし立てている。

「お前がわざわざ持ってるって、まるで形見だな」
「……私は、養女なので、だから、」
「悪かった」

優しく響く声をかみしめるように、ミカサは黙っていた。

「気にしてない」

また地面に視線を戻した。リヴァイも黙ってそれに倣った。

――私も、ひとりだから。ずっと。

それは、どれほどの長さの「ずっと」なのだろう。子供の頃と同じ問いを抱いてしまう。

なかなかに厄介だった。草は比較的短く刈り込んであるのだが、植えられた花の状態や見映えによっては長めに残してある場所もあった。ついでにゴミも回収しながら、リヴァイは黙々と銀の指輪を探した。時々、近くにいる少女を盗み見た。真剣な顔つきで探している。どうやら母の形見というのは嘘ではないのだろう。

煉瓦を積んで築いた高さのある花壇が校舎の外壁に沿って設えられている。その地面と接する部分が、微妙に窪んでいた。蟻が巣でも築く内にそうなったものか、腰掛けてふざけ合う生徒たちのスニーカーの踵にでも削られたものか。そこに、若干土を被った鈍い銀色が見えた。

「オイ、これか」

ゴムの手袋を外して摘み上げたそれをミカサの目の前に差し出した。

「お母さんの!」

ミカサはそれを掴もうとして手を引いた。草の切れ端や土がついていた。大切なものを、汚したくないのだろう。リヴァイは無言で作業服のポケットから除菌用の携帯ウェット・ティシューを取り出して差し出した。

「ありがとう」

素直に受け取って、丁寧に手を拭いていた。ティシューをリヴァイに返し、汚したものをくるりとまるめて近くに置いていたエナメル風の蝙蝠の形をしたバッグの外側にある小さなポケットに押し込んだ。華奢な手を差し出した途端、リヴァイの手が掴んだ。

「あ、」

甘い香りがぶわ、と一気に立ち上り飛散したように感じた。この香り。この少女が存在しない、ほかのいついかなる時いかなる場所であれ、感じたことのない芳香。瑞々しく慕わしい。花のあるこの庭で、突然それまでになかった香りが拡がった。

「もう、落とすなよ」

ミカサが受け取ろうと差し出した左手を取り、その薬指に指輪をはめた。ただの思いつきだった。どこかのポケットなどに忍ばせるのでなく、持っているのがいいだろう、とそう思っただけだった。掌からまたこぼれないように。それだけだった。
《愛を込めて》と刻まれた、その指輪を。

「私、……あの、もう、……ありがとう、帰らないと、」

黒い瞳から、一粒こぼれたものが、ひどく美しく見えた。前にも見たことがある。「欲しい」と伝えた時、そんなふうに溢れたの見た。恥じらいと哀しみとが溢れると、美しい珠になるのだと知った。あれは、まだ、十五、六だったか。

ミカサは慌てて立ち上がり、覚束ない足取りで、それでも出来るだけ急いで踏み出そうとした。だが、気持ちばかりが急いたのだろう、身体がついていかず、草むらに足を取られて転びかけた。

「きゃ、」
「慌てるからだ」
「はなして」

初めて抱きしめた身体は、やはり細く少し頼りなかった。身長の割には肉がない。無駄なそれも、必要なそれも。それでいて、乳房はやわらかく盛り上がっている。
ミカサが軽く暴れたために、リヴァイもまたバランスを失う羽目になり、倒れかけた。ひとりならばどうとでもなったのだが、ミカサを抱きしめたままだった。無理に受身を取って背から地面に落ちた。ミカサが覆い被さるように重なっていたのを確認して、安堵のため息をついた。

「ごめんなさい!」
ミカサは跳ね起きてまた地面に膝をついた。そして、心配そうにリヴァイの顔をのぞき込んだ。
「大丈夫? なんともない? 平気? 痛いの?」
そんな表情を見るのは初めてだった。いつもどこか覇気がなく、静かで穏やかで人形のように澄まして見えたミカサが、焦っている。
悪くねえな。リヴァイは笑いそうになった。
「ごめんなさい」
白い手が、ふ、とリヴァイの脇腹に添えられた。数年前刺された場所だ。その傷のために向かった少しばかり自分の息のかかった病院で、今半泣きで気遣うミカサに再会し、……逃げられた。
「そりゃ古傷だ。今更なんともねえが、……それ知ってんのは、俺の馴染みのオンナくれえだ」

芳香が強く香る。華やかであでやかな香りが空気を浸食するように強まった。

ミカサが凍りついていた。

なあ、なんでそんなカオしてやがる。

「な、なんともないなら、これで。あの、指輪、ありがとう。本当に、感謝してる。怪我がないなら、あの、……ごめんなさい、私、これで」

ミカサは今度こそすっくと立ち上がり、迅速に立ち去った。振り返りかけた顔を、また前に向けて。

「お前は、いつも逃げるんだな」

花とも果実ともつかぬ甘い香りの中で、リヴァイはゆっくりと身体を起こした。

◆   ◆   ◆

女は黙って紅茶を淹れた。まろやかな渋みのある甘い香りは、あの男を思い出させる。
あの男なら酒か、飲んでも珈琲だろうと思っていた。どういう訳か、紅茶を好んだ。
「ガキの頃、飲ませてもらえなくてな」
それだけしか語らなかった。ホテルの提供する薄手の上品なカップを、どういう訳かウイスキーかバーボンのグラスでも持つように、手で上から覆うようにして持ち、啜る。
会話から、両親が早い段階で存命ではなくなり、そのせいで里親の元を何度か転々としたことはうかがい知れた。自分からさほど語ろうとしない男には、何となく尋ねるのも躊躇われた。

娼婦をやめようと思ったのは、この男に問われたからだった。
「あんた、いつまでコレ続けんだ。もっとマシな仕事、あるだろ。稼げるかは微妙だとしても」
倹約も重ねていたために、貯えも得た。ちょうどどうしようかと思っていた矢先ではあった。
「私が続けるかどうか、気になる?」
「いや。そりゃあんたの自由だ。これが向いてるって女も、まあ、居るんだろう。……俺みてえなのに呼ばれても、イヤがらねえで来てもらってたからな」
要するに、僅かばかり世話になった女に気遣いをくれているのだ。やはり、よくわからない男だった。
「あなたみたいにモノ扱いしないお客なら、誰も嫌がらない。強いていえば、笑って欲しい、それくらい?」
「このツラで笑ったって、気色悪ィだけだろ」
「そんなことない。私は、見たかった」
「見せもんか、俺は」
紅茶の香りが漂う中、客と娼婦が軽口を叩き合っている。妙な気分だった。この男は意に介していないようだが。

「怪我。もうなんとも無いみたいで、良かった」
「身体についたもんなら、いずれ治る」

それは、あなたが、…あなたも、消えない傷を、持っている、ということ? 誰にも見えない、見せない場所に。女は紅茶を口に含んだ。

「あんた、言ってただろ。無理矢理は気持ち悪かった、汚れたと思った、だからこんな仕事でいいんだって。自分を痛めつけてるみてえでな。それ抱いたんだから、俺もどうにもこうにもクズなんだが」

時々、気が滅入ることがあった。最低な客は日々更新されてゆくのだ。昨日よりはマシだろうと思っていると、上回るイヤな客に出くわす。この男に呼ばれて、部屋に入るなり泣き出した時は、何もせず紅茶を淹れて差し出し、黙って泣くままにさせてくれた。

「もしあの話を聞いて抱いてくれなくなるなら、もっと立ち直れなかった。私がお願いしたの。あなたにまで汚いとは思われたくなかったから」
「誰も、あんたを汚したり出来ねえ。ホントはな。何ひとつ汚れてねえよ。何も悪くなかった。あんたはまだ子供で、相手を信用してた。そこにつけ込んで、暴力振るってきたクズだ。怖くて何も出来ねえのも当たり前だ。汚ねえのはな、そんな思いさせてのさばってる連中であって、あんたじゃない」

酷い男だと思う。愛してくれる訳でもないくせに、こんな気遣いをするのは、いったいどういう神経をしているのだろう。

男は、もしやる気があるのなら、と仕事を紹介してくれた。ヘア・サロンだと言う。資格もなにもないのに、と言うと、やるつもりがあれば、取らせてくれる店なのだと言った。そして、こうも付け加えた。
「そこは、誰かにひどく傷つけられた人間しかいねえんだ。身内や恋人、信じてた人間に裏切られたりしてどん底見てる。カウンセリングに通って、自分が悪かった訳じゃねえって少しずつ前向けるようになってるヤツばっかりだ。あんたを責めるような馬鹿は居ねえから、そういう意味では安心して働ける」

酷い男だと思う。愛はくれないが優しさと気遣いを寄越すのだ。

酒は飲まない。今は、紅茶だけだ。何度目からだっただろう。呼ばれても、服一枚脱ぐでもなく、ただ共に紅茶を飲んだ。のんびりとして、落ち着いた。会話が弾んだ訳ではない。でも、心地よかった。

今は、リフレクソロジィとアロマテラピィの資格を持っている。店の同僚たちとは程よい距離で働くことが出来、楽しくもあった。カウンセリングには定期的に通うことはなくなった。かなり落ち着いている、と思う。
カウンセラーにも解決出来ないのだ。誰かに焦がれる気持ちを止められない、というのは。

酷い男だ、と思う。忘れられない想い出を、頼みもしないのに残していった。

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「お前を養女に迎えたのは、そのやたら居くさる猫どもか、ああ?」

町の外れの公園の奥には、散策するのに向いたこぢんまりとした森がある。林だろうか。暗がりの中で、いくつもの目が光り、少し威嚇するようになおなおと声を上げていた。抗議かもしれない。

「尾けてきたの」
「そうかもな。……まだ十五のガキが夜中になってもふらふらほっつき歩いてたら、マトモなフリが出来る大人は心配するもんだ。憶えとけよ、今後も生きてくつもりなら」

ミカサは黒い猫を抱き上げた。猫は嬉しそうにごろごろと音を出した。甘えている。ほかの猫たちもするすると引き寄せられるようにミカサの足元に集まった。時折、腹立たしげにリヴァイに毛を逆立てて。

「何しに来たの」
「そりゃこっちの台詞じゃねえか。いきなり俺の前から消えたと思ったら、また現れやがった。初めて逢った時のまんまの姿でな。俺はもうおっさんだってのに、お前はまだクソガキのままじゃねえか。タネ明かししろよ」

落とした指輪を拾ってやってからも、ミカサはきちんと高校にやってきた。そして、極力リヴァイを避けていた。そもそも、掃除で校内の至るところを歩き回って作業するリヴァイと、たかだか数分の休憩時間を次の授業のために移動でバタバタする生徒が、しょっちゅう顔を合わせられる訳でもない。だが、リヴァイは避けられていると感じていたし、おそらく、ミカサも意図的に避けていたはずなのだ。

「縄張り意識が強いひとも居るけど、そうでもないひとも居る。この町に居るのは、割とそういうのを気にしないひとばかりだったし、居心地も悪くなかった。それだけ」
「唐突過ぎて何ひとつわからねえな」
「もう、何となく、わかってるのに?」
「何をだ」
「私が、……人間からヴァンパイアと呼ばれるモノだって」

なぁん。腕の中の黒猫が鳴き、ミカサは頬を摺り寄せた。足元の何匹もの猫が、甘えるように額をこすりつけている。

「やっと言いやがった」
「ふふ」
哀しげに笑った。
「あの墓地に居たのも、お前だろ」
「…………そう」
「高校で逢ったのも」
「うん」
「病院でも出くわしたな」
「うん」

なぁん。なぁん。なぁん。なぁん。なぁん。なぁん。乞うような鳴き声と、甘い香り。

「なんで、俺の前から消えた」

ミカサは睫を伏せた。

「なんで、……また現れた。俺を避けるクセしやがって」

芳香は、瑞々しさよりも熟れたような深みを増した。

「もう、眠ろうかと思って。最後にもう一度、顔が見たかったの。それと、高校生の生活、っていうのを、しておこうって」

背中にぞわりと悪寒が走った。リヴァイは目を見張った。

「眠る、って、なんだ」

それは、死を意味するのか。

「うん、……眠るの。いつまでともわからない間、ずっと。目覚めるのは、三年先か、五十年後か。わからない。その時が来たら、ただ、目覚めるの」
「また、俺を置いてくのか」
「ごめんなさい。二度と逢わないつもりだったのに」
「謝って済むと思ってんのか」
「ごめんなさい」

なぁん。甘える猫の声がひどくせつなく響いた。

「なら、……俺を連れてけ」
「何を言って、」
「お前の世界に、俺を連れていけ」
「馬鹿を言わないで」
「ウンザリしてんだ。欲しいものは何ひとつ手に入らねえか俺から逃げてく。ほとほと飽きた。あとは、また、……お前が居ねえ世界をくたばるまで眺めてるだけじゃねえか」

射抜くように見つめる瞳が、美しいと思う。ミカサは白いトパーズを眺めた。ほんのりと青みを帯びて、まるで冬の明け方の空だ。幼い頃から変わっていない。

「私みたいになってほしいなんて思わない」
「言ったはずだ。ほかは要らねえ。お前がいい。お前をくれ」

憶えてる。忘れたこと、なかった。ずっと憶えてた。嬉しかった。だって、私は、ずっと、

「独りは問題ねえ。母親死んでからずっとひとりだ。お前が居ねえのが問題だって言ってる」

濃密な香りが漂った。むせかえるほどの甘さ、馨しさ、したたりそうなほどの濡れた空気。

ミカサの腕からするりと猫がすべり落ちた。

「ヒトを食糧にして生きていくおぞましいものになりたいの?」
声が震えていた。恥じらいのせいなのだと思いたい。
「とっくにひとの道なんぞ踏み外してる。何の問題もねえ」
「そういう意味ではない!」
「お前と居られるならそれでいい。で? どうすりゃソッチの側に行ける。やっぱりあれか、首に噛みついて吸うのか」

ミカサの話を聞きはしても受け容れる気はないらしい。リヴァイは淡々と、かつ平然と尋ねるではないか。それが忌々しい。そして、……嬉しいと感じてしまう。

「血なんて吸わない」
「お前の病院でのアレ、なんだ」
「………連綿と受け継がれてきた習性みたい。突然飢餓感や口渇感にかられることがある。そのスパンは個体差らしい。私は滅多に欲しくならないけど、毎日でも欲しい、というひともいる、と聞いてる。通常もらうのは、エナジーだけ。奪われた側は、一時的に衰弱して、徐々にいつもと同じ健康体に戻るって。あの時は、手に入れられる場所に近づいたから」
あなたを、ずっと見ていたから。古ぼけた家に仲間を引き連れて夜を縫うようにして標的に向かっていくところも。子供を庇って怪我をしたのも。
血の臭いが甘く香って、身体中が熱くなった。病院に向かうのを追いかけた。
そんな時なのに、急に血が欲しくなった。リヴァイの血はあまりに甘い香りがしたから。まるでケモノ。本能に抗おうとしないで欲望を優先させた。そんなところを見つかって、自分の愚かさと「人間ではない」という事実がそれまで以上にのしかかってきた。
「他人事みてえに言うんだな」
「生粋のヴァンパイア、ではない、ので。聞いた範囲のことしか知らないの」
「どういうことだ」

ミカサは淡々と話し始めた。学校から帰り、庭に出て花壇の世話をしようとしたところで意識が途絶えており、目覚めた時にはどこかもわからない場所で見知らぬ女が目の前に居ただけだった。女は最低限のことだけ教えると消えた。訳がわからないまま彷徨っていたところを、探し回っていた両親と警察に保護された。
そして、経年と共に自分に何があったのかを悟るしかなくなったのだと言った。ゆるゆると当たり前に老いてゆく両親と、少女のままの娘。病院で検査しても体温が低いことくらいしか目立った異常は見つからない。両親に話しても最初は信じなかったが、信じざるを得なくなり、結局受け容れてくれた。外で働けるでもない娘を養い、最期まで共に過ごし、少女のままの娘に見送られて逝ったのだと。指輪はその時母親から譲り受けたのだ。

「で? なら、どうやって仲間とやらにする」
「私は、まだ、したことがないし、」
「質問に対する答えになってねえだろ」
「なんて言うか、その、ウイルスとか病原菌みたいな感じ。傷をつけた場所から私の体液を混入させる」

リヴァイは芳香にむせそうになった。何故そんなにも躊躇いがちに言うのだろう。

「体液とは穏やかじゃねえな。期待させんなよ」
「何言ってるの?」
「教えてやるから楽しみにしてろ」
「? ……それに、……本来仲間を増やす、というか、その、……そういうことをするのは、伴侶を得る、ということなの」

ミカサがふい、とあらぬ方向を見た。横顔も美しかった。照れているのであれば、なおさら。空気がより更に甘く濡れる。

「ほう。なんでそれ俺がガキの頃に言わねえんだよ」
「だ、誰でもいい、というものではないの。私をさらった女は、その伴侶を得られなかった。得られないまま交配期を過ぎたから、仕方なく私をさらって自分の血を私の指先につけた小さな傷に含ませた。この種族は、交配期を迎えると、番う相手を探すんだって。ただ好きだの気に入っただの、そういうものではない、って。このひとだ、とわかるものだって。そのひとと結ばれることで、初めて純血種のヴァンパイアが生まれるって、そう言ってた。後継者を産めない場合は、そうやって人間をさらってヴァンパイアにするの」
「俺が、それに…伴侶に相応しい相手とやらに該当しなかった、だから俺の前から消えたのか」

なあああああん。猫が鳴いた。ミカサにだけ甘えていたはずが、いつの間にかリヴァイの脚にも額をこすりつけて甘えていた。

「番になる相手にだけは、交配期の女のヴァンパイアが放つ香りに気づくんだ、って、そう言われたの。それでせいぜい相手を求めてお前も彷徨えばいい、って。私を誘拐した女は、誰でもいい、たまたま目についた私にも同じ辛さを味わわせたくてさらったんだってわかった」

待て。

「お前、今、なんて言った」
「わかってるのに、何故訊くの」

――お前、……いい匂い、するよな。なんか、つけてんのか。
――甘くて、…果物だか花だかわからねえが、……いい匂いだ。

「お前、どんだけふざけやがる。……お前にとって、俺が、」
「だから! だからダメなの!」
「なんでだよ。全部丸く収まって万々歳じゃねえか。どんだけ待ったと思う。お前が来るはずの車の中で、――」

その時も、物陰から、ずっと見ていた。学校の裏手に車を回して欲しいと頼んで、ミカサは永遠に離れることを決めて、そこには行かなかった。リヴァイが自分の来るのを待っている姿を、ひたすら見つめていた。イライラしたように車から出て、つくねんと立ち尽くしていたのを見ているのは、辛かった。あの背中ほどさびしいものはなかった。母親の眠る上にある碑を眺めていた幼い背中と重なった。
リヴァイは高校ではひとりで居ることを貫き、誰とも親しく交わらなかった。在校中は黙々と自動車整備や電気工事の技術を学び、卒業ののちに職を得て、どこに行っても友人というものをつくらずに過ごしているのを、ただ見守った。
身体を張って危ない裏稼業を始めた時ははらはらした。自分のような子供を少しでも減らしたいのだとすぐに気づいた。怪我をしないだろうか、捜査機関に捕まるのではないか、そんなことばかりが気になった。
赤毛の女性とホテルで会うようになったのを知った時は、死にたくなる程辛かったが、同時に安堵した。

「ふつうの人間として、しあわせに生きてほしかった。大切にしてくれる誰かを大切にして、生きて、人生を全うして欲しかった。だって、……私にとって、いちばん大切で、」

だいすきなひとだったから。

にゃあん。にゃああん。猫が騒ぎ出した。リヴァイがいきなり踏み出して、ミカサを乱暴に抱きしめたせいだろう。花弁だけむしって溜め込んだ中に飛び込んだように一気に香りに包まれて、くらりとした。

「お前じゃねえ誰かと生きろだ? そんなもんクソくらえだ。俺が要らねえならいっそ殺せ。それくらいの力は持ってんだろ」
「やだ!! そんなこと、する訳ない!」
「なら、……お前のそばに置けよ。ずっと一緒に居られんなら、なんだっていい。置いてかれるのはもう沢山だ」

この町から離れられなかった。たったひとりに囚われて、出て行くことなど考えられなかった。
お互いに。

「後悔したって、ヒトには戻れないの」
「あの日、お前の手を引っ張って駐車場に連れていかなかったことくらい、後悔したことはねえよ。それ以上の後悔なんざ俺にはねえ」

ミカサが堪え切れずに声を上げて泣き出した。
ひどいことをしたのは、わかっていた。一緒に居たかった。望むのはそれだけだった。けれど、人間として生きていけることが、どれほど尊いか身に染みていると、離れることが最善なのだと思っていた。

冷えた肌が心地いい。ぬくもりを与えてやれるものかはわからない。与えられないのだとしても、同じ存在になってしまえば、そんなことも問題ではなくなるだろう。リヴァイは腕の中に閉じ込められるだけで安堵する自分を嗤った。

「教えろよ。どうすりゃお前と同じになれる。指でも切ってお前にしゃぶらせりゃいいのか」

泣きじゃくるミカサを抱きしめたまま耳元でささやいた。落ち着くのを待った。猫たちがにょろりにょろりとふたりの足元で身体をすりつけて甘えていた。

「ただ体液を混ぜればいい、なんていうのは、とても上位のヴァンパイアでないと出来ない、と言われた。だからこそ、私をさらった女は自分と種族を呪ってたんだと思う。簡単に眷属なんて増やせるのに、伴侶だけは手に入らなかったから。それで、その、私みたいな中途半端なのは……儀式めいたことが、必要なの」
「面倒なのか、ソレ」
「…………私の場合は、その、まず、……キス、しないといけないの。あの、……ちゃんとした、大人のキス。私の牙で、相手の舌に傷をつけて、それで、――」

頬を両手で包まれて、引き寄せられて、あっという間に唇を塞がれた。強く吸われて、息の仕方など忘れてしまった。ミカサは呼吸を奪う相手にしがみつくことしか出来なかった。

「もっと早く言えよ馬鹿野郎。それでお前あの時焦ってやがったのか」

ただ唇を重ねただけの幼いキス。それでも忘れたことはない。
ミカサが戸惑いと不慣れ故にはくはくと呼吸を整える間、息ひとつ乱さぬリヴァイが忌々しげにつぶやいた。そして、また唇を塞ぐ。

「ん、んん、ん、」

舌で舌を絡め取られて、どうしていいかわからず、ミカサは喉の奥から抗議めいた音を出すばかりだった。

「煽るんじゃねえよ」

また塞がれた。随分昔に、唇が触れ合っただけでも、倒れそうだったのに。ミカサのまなじりから涙がこぼれた。香気が立ち込めてリヴァイはむせかえりそうになった。それでも、放してやる気はなかった。

ぷつ、と何かが刺さる感触があり、その途端に鉄のような味が広がった。どういう訳か甘い香りまで一緒に拡がる。それまで以上に気分が良くなった。粘膜と粘膜が触れ合うだけで、快感が何倍にもなって押し寄せた。
そして、何故か、口の中には、蜜のような甘さが残った。

「これで、いいのか」
そう言って舌先でべらりと唇を湿らせると、薄い唇が半分赤く染まった。ミカサの身体に回した腕は、多少緩めはしても放す気はないらしい。
「もうひとつある。でも、今は、これで十分。……もう、人間には戻れないの」
「構わねえ。元々人間棄ててたようなもんだ」

人間を棄てたと言う男が、身体を、命を張ってかつての自分に近い境遇の子供を救い出したりするものだろうか。

「あとひとつ、ってのは、何だ」
「……何事も、段階、というものがある。儀式とは、そういうもの」
「だから、何だよ」
ミカサは困ったように眉根を寄せた。
「その、……伴侶を迎える、ということなので、……夫婦としての契りが必要だと言われてる」

どんどん語尾が小さくなっていき、こうも顔が近くなければ聞き取れないほどだった。

「お前、……どうしたらガキが出来るか、知らねえとは言わねえよな?」

ミカサが真っ赤になった。
ふと気づく。ミカサは仄かにあたたかかった。人間とヴァンパイアではなく、同じ種族になると、互いの体温がわかるようになるのだろうか。
何より、薄暗い中でどういう訳かはっきりと何もかもが見えていた。

「段階、な。まあ待ってやる。だが、長えことおあずけ食らった野郎の理性に期待すんなよ」
「それは、あの、…………うん、…」

二人の足元で猫たちが毛づくろいをしてくつろいでいた。


当たり前のようにリヴァイのアパートに連れていかれた。殺風景な部屋だった。こぢんまりとしているのに、限られた家具しかないせいで妙に広く見える。ダイニングにはテーブルと椅子、リビングにあるのはソファとロー・テーブル。つくりつけの小さなキッチンとどこにでもありそうな冷蔵庫。
「荷物、これだけか」
「うん」
キャリー・カートには着替えと少しの私物。リヴァイが尋ねると、子供が巣立った夫婦の家などに入り込み、彼らと、必要ならば彼らの近しい人々や近隣住人に、新たな記憶を捏造して植えつけるのだと言う。そうやって家々を転々としていたのだと語った。ミカサが去ればそんな少女が存在していたという記憶そのものが消えてしまい、「ミカサの存在しなかった日常」に戻る。
そんなふうに過ごすのは、きっと虚しかったに違いない。リヴァイは行き場のない子供たちの顔を思い出した。そして、高校時代、誰もミカサを知る者がなかったという事実を。
「紅茶、好きか」
「うん。大好き」
「淹れてやる」
ダイニングの椅子を引いて、目で着席を促し、ミカサはそれに従った。
紅茶が好きなのは、リヴァイが好むと知ったからだ。気に入っているのか、いつも買いに行く店があることを知った。そこで、ミカサも時々手に入れるようになった。離れていても同じものを飲むことで繋がっているように感じられるなどと、センチメンタルに過ぎるのはわかっていても。
もう眠ってしまおうと決めてからは、尚更そんなふうに何かでひっそりと繋がっていたくなった。「裏稼業」から手を引き、清掃員として高校で働くと知って、最後の間違いを犯すことに決めた。同じ空間に居て、夜危険に身を晒しているのではなく、太陽の下で元気に過ごしている姿が見たかった。まなうらに焼きつけて、見たい夢を見てから、夢も見ない眠りに就きたかった。

それが、今こうして同じ空間に居る。リヴァイが過ごしている部屋の中に。

どんな家であれ、入りたければ入ることは出来る。そうやって過ごしてきた。けれど、この男の部屋にだけは入れなかった。どうでもいい人間の家でさえ申し訳ない気持ちになるのに、大切に思う者の家に無断でずかずかと上がり込む真似は出来なかった。
ただ、隠れて家の明かりが灯ったり出入りするのを見守るだけだった。
「ん」
カップが差し出されて、ミカサは礼を言って手に取った。
「あったかい。……リヴァイは? 飲まないの?」
「カップ、買いに行かねえとな。……ヴァンパイアって、メシ食うのか」
「栄養とか活力にはならないけど、食べるだけならいくらでも。……学校とか、ショッピング・モールとか、実はとても便利。沢山ひとが居ると、大勢から少しずつエナジーを貰えばいいから、極端に弱らせなくて済む。昔なら、移動遊園地が立つ日とか」
「それでお前、俺の高校とウォール・ハイ来たのか」
「それはリヴァイが居たか……」

しまった、という顔をリヴァイは見逃さなかった。

ミカサが飲んだカップを取り上げ、一口含んだ。味も香りもわかるのなら、これからも飲めるだろう。

「必要なもの、考えとけよ。買い出しに行かねえとな」
「う、うん」
「風呂の準備してやるから、入れ。ヴァンパイアだろうが、シャワー浴びたりすんだろ」
「その辺は人間と変わらない」
ミカサの眼前、テーブルにリヴァイが手をついた。ゆっくりと身体を傾斜させ、ミカサの耳元で言った。
「ところでな。その夫婦の契りとやらには、ゴム要らねえんだよな?」
「なっ、……何を言って、」
「カワイイこと言って煽ったのお前だろ」
「私は、何も、」

赤く染まる頬が愛らしかった。人間のままでは見る事も感じることも出来なかった体温がそこにある。

「安心しろ。からかっただけだ。いきなり襲ったりしねえよ」


風呂から上がると寝室に連れて行かれた。やはり殺風景だった。あまり広くはなく、ナイト・テーブルとベッドがあるだけだった。
当たり前のように引き寄せられて、くるまれるように抱きしめられたままで横になった。誰かの体温を感じて眠るのは、久しぶりだった。最後にそんなふうに眠ったのは、幼い頃両親にどうしてもとだだをこねて真ん中で眠った時だった。

「リヴァイ。ちょっと、……苦しい」

小さな子供がぬいぐるみを抱きしめて離さないように。硬い身体に押し付けられて、息苦しいほどだった。

「……お前、またどっか行くんじゃねえか」

からかうような口調と、ほんの少しだけ緩められた腕の鎖。放す気はないと言いたげに絡みついている。
胸が詰まった。幼い頃に母親を亡くして里親をいくつか転々としていた。リヴァイが自分と同じ十五になった時、我慢出来ず逢いに行ってしまった。そのくせ、……置き去りにしたのだ。自分と同じ存在にして、未来を断ちたくないばかりに。

「もう、行かないから。どこにも行かないから。リヴァイとずっと一緒に、……ごめんなさい、ごめんなさい、私、」

それ以上は涙が止まらず言えなくなった。

「そうか」

十五やそこらで未来を奪いたくないと、そう思った。かつての自分がそうだった。リヴァイにだけは同じ思いをさせたくないと、そう思って去った。
気づいてしまった。そして気づくのがあまりに遅かった。リヴァイの時間を、十五のあの時で止めてしまったのだ。もっと早くだろうか。帰りたくないと言った幼い子供を、無理矢理元居た施設に戻らせた。
老いることを許されなくなった時の自分よりずっと大人になったはずのこの男の時間を、少年のままで止めたのはほかの誰でもない自分なのだと悟った。
ただ太陽の下でしあわせに生きて欲しかっただけなのに。誰よりも残酷な真似をしてしまった。

「ごめんなさい。ごめんなさい。私、本当に酷いことを、」
「……いい。謝るなよ。悪かった。冗談だ。…なあ。気分いいんだ。お前が居るからな」

泣きじゃくるミカサを抱きしめて、リヴァイはうっすらと微笑んだ。

もう失わなくていい。それで十分だった。

なめらかな黒髪を梳きながら、額にキスをした。自分にしがみつく細い腕に、より深い安堵を感じた。

失くした時間よりも長く、この先は共に生きていける。それで、十分だった。

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「おああっ!!」
清掃員のために用意された部屋に奇声が響き渡った。ランチタイムのカフェテリアは今頃生徒たちが学年ごとの入れ替わりのせいでごった返しているだろう。
二人の変わり者の教師が清掃員室に勝手にやってきて勝手にランチを広げパクついていた。
「メガネ。何度言やわかる。食い物のカスを撒き散らすんじゃねえよ」
リヴァイはハンジの結い上げたポニーテイルの根元を引っ掴んで引っ張った。つい先ほど雑巾を洗った後に外したはずのゴム手袋をはめているのには、どういう意味があるのだろう。
「いやいやいや、しょうがないじゃん! だってコレ、バーガーだよ!? バンズ!! 間に肉! レタス! トマト! チーズ! ピクルス! 色々こぼれるに決まってるだろ!」
「お前の向かいに座ってる気持ちの悪ィ歴史の大先生様見てみろ。ハンバーガーいちいちぼろぼろこぼしながら食ってねえだろ。脳みそまでこぼれてんのかテメェは」
「エルヴィンは上品ぶってるだけだろ!?」
「いや、見ての通り、口は大きく開けてる。ただ、誰かと違って食べてる間は閉じてるからな」
勝手に淹れた紅茶を飲みながら、エルヴィンが笑った。
「細けえええええ! 二人揃って小姑かよ!」
「マトモなだけだクソが」
「ぎゃああああああああああああ!」
リヴァイの右手が軽くハンジの喉元を掴んで締め上げた。
「うるせえな」
「いや、びっくりするだろ! 何やってたらそんな手が冷たくなんの!?」
首を絞められてもからかいの範疇だとわかるのだが、その手の冷たさには驚いた。ハンジはまじまじとリヴァイの手を見た。手袋などはもう着けておらず、素手だった。奇妙に青白く見えて、これほど不健康に見える手だっただろうかと一瞬いぶかしんだ。
「水仕事してりゃしょうがねえだろ。もう秋だしな」
「そりゃ、……まあほうは。みふもらいぶふめはふはっはおえ」
がふがふとハンバーガーを食べながらしゃべるせいで、またレタスの切れ端やパン屑がゆかに落ちていった。
「リヴァイは昼食食わないのか」
エルヴィンが尋ねた。
「……ああ、今日は忙しいしな。あまり腹も減ってねえから、あとで適当に茶でも飲む」
「ひゃんと食べなおー? 育たないふぉ?」
「食いながら言うなクソが。今更育つか殺すぞ。……オイ、何してんだ。ケチャップついた手で触んじゃねえよ」

ハンジは右手でバーガーを掴みながら、左手でリヴァイの手をむぎゅむぎゅと握って揉みしだいていた。

「ついてない! いや、ホント、冷たいねえ。風邪? 低体温症とかじゃないの?」
「どうだかな。別になんの問題もねえが。その証拠に今朝もいつもと同じで起きてツラ洗ってクソしてきたからな」
「食事中ですが!?」
「メシ食ってたのか。散らかしに来てたんじゃねえのかよ」

楽しそうなやり取りに、エルヴィンが苦笑した。

「手が冷たいひとは心があたたかいとか何とか、そういうの、なかったか」
「あー、なんか人柄とか交感神経がどうのとかホルモンがどうとか、科学的に説明しようとしてるひとも居るんだっけか。まあ確かに、リヴァイってさ、意外に生徒たち見てる時の目は、優しいよね。怒鳴るし叱りつけるし脅すけど。あれ。ちょ、待って。私への態度と同じじゃね? おまけに私蹴られて殴られてね? あれ? 私、虐待されてね?」
「馬鹿言え、俺は元々結構優しいだろうが」
「それ、私に言うんだ……?」

歴史の教師はいよいよ噴き出した。うつむいて肩を震わせている。

「なら、…俺はどうなんだろうな」
「エルヴィンは、あっつあつおててだから冷血漢でいんじゃね?」
「だな」
「酷いな!」

エルヴィンの反応を見てハンジが大爆笑した。
和やかで賑やかな中に居ると、ことさらミカサを思い出す。ひっそりと静かにそこに居て、仄かな笑みを浮かべて。誰とも交わろうとしなかったが、今は二人の少年と仲良く過ごしている。
それが「擬態」なのだとしても、あの姿も本来のミカサの一部だと思っていた。昔奪われたものを、取り戻したいのかもしれない。謳歌出来たはずの青春とやらを、今ようやく。それに、学校を出てしまえば自分だけのものになる。
何もなくとも、自分だけのものなのだが。
今頃はカフェテリアで昼食を食べているのだろう。




手が冷てえと、心があたたかい? 俺の女に限っていえば、そうなのかもしれねえな。
リヴァイはひんやりとした肌と、自分の腕の中でまろやかに熱を帯びてゆく肌とを思い出していた。
甘い香りにまとわりつかれ酩酊する快楽と、子供の頃には知らないままだったぬくもりを。
ふたりで迎える夜が、いとおしく、待ち遠しい。何をしても疲れず、朝が来て高校に来れば適度にチャージが完了する。日々が新鮮に感じられた。
ヒトでなくなってから、初めてヒトらしさを手に入れた気がした。




十五歳で止まった互いの時間が、ようやくゆっくりと動き出した。
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最終更新日2018-10-23
Posted by 璃果

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2018/10/29 (Mon) 07:38 | EDIT | REPLY |   
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2018/10/21 (Sun) 20:52 | EDIT | REPLY |   

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